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12garage

主にゲームと映画についての雑記。

ふうけいの なかにいる

 柄谷行人って人の本の中で風景の発見という話が面白かったので少し書いておきたい。

 

日本近代文学の起源 原本 (講談社文芸文庫) https://www.amazon.co.jp/dp/4062900416/ref=cm_sw_r_cp_apa_CT-SxbJTC58RW

 

 この本の中で、文学や絵画といった文化に触れながら「風景」というものについて繰り返し触れられている。簡単にまとめるとこうなる。

 一番最初に人間が「風景を描こう」と考えたのは、意外にも人物画を描いたのよりかなり後になってからだった。言われてみれば当たり前だが、自然とは人間にとって邪魔くさい下生えだの、雑木林だの、村や畑を作る上では邪魔でしかなかったので、アニミズムで讃えることはあっても、絵画にして省みることはなかった。

 そのあとで、都会化した人間たちの文化の中で自然を持ち上げる向きが出てきた。木が美しい、ツタは繊細である、などなど。この一連の流れの中にいる人は、自然を美しいものだと考えるようになる。それについてきちんと把握するためには、いちど「自然≒美しい」という直感的図式から抜け出す必要がある。

 つまり、これができず、盲目的に自然は美しい、と考えてしまうことが、「風景」の中にとらわれる、ということになる。

 

……ということである。

 私的に言い換えるならば、「文脈」というのがわかりやすいと思う。

 

 たとえば動物はかわいい、自然は大切。こういったあらゆる思想の裏には、まずそうなるに至った経緯があり、それを知らないまま崇めるのは盲信でしかない。

 商業用にパッケージングされたクマさんはカワイイかもしれないし、そんなクマさんを殺すのはかわいそうだが、かつて三毛別ではいたましい事件を起こしているわけで、その文脈をちゃんと知っていればたとえば「捕獲でなんとかならないか」とか「せめて安らかに殺してあげられないか」といった譲歩案が生まれてくる。

 このようにこういった交渉の中で譲歩、折衝をするためには、相手の文脈を知る必要がある。僕達がお互いに話し合って物事を決めるためには、いや、もはや生きていくためには、相手の思想の背景、文脈を知ることが不可欠なのだと思う。

 

(書くまでもないことではあるが、僕自身も心がけるべきことであるなと思う)