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主にゲームと映画についての雑記。

人を殺せる人間はマンガなんかで作れるのか

 最近は好きなものの話をしていたが、今日はとてもつまらない話をする。


 ワイドショーなどでは、殺人事件が起きるたびに「なぜその人物が殺人を犯したのか」ということを報道したがり、また、だんだん「そういった人物になった原因」という点にフォーカスしていく。そして、それを見た僕たち"オタク"や"マニア"はいちいちそれに対して憤慨する。もとから事実でない嘘八百に振り回されて気持ちを揺らされるなんていうのは、ほんとうに詮無い話だ。
 だから今日は、つまらない話だがはっきり述べておく。アニメやマンガごときで犯罪者を作ることはできない。


 僕は大学で犯罪心理学学習心理学発達心理学などを学んでいたのでその観点から述べさせてもらうが、実際のところ、漫画やアニメや小説で人を殺すように人間を誘導することは、日本では極めて難しい。というより、「豊かな法治国家では極めて難しい」の方が正しい。


 人間がある判断をするとき――たとえば、悪事を働くとか――には、おもに、その人間の"価値観"や"倫理観"によって決定される。そして、それらを形作るのは、学習である。
 ここでいう学習とは、机に向かってするもののことではなく、心理学での用語である。


 人間に限らず、一般的な動物は、自分の起こした行動に対する結果をみて、「何をしたら自分の得になるか」「損になるか」を常に学んでいる。
 たとえば、イヌは芸をすることでご褒美をもらって「芸をすることはいいことだ」と学ぶだろう。もう少しこれを複雑にすると、「法の整備された豊かな国の人々は、良いことをすれば褒められ、悪いことをすれば罰が与えられる」というように、学習の積み重ねをたくさん行うことによって動物は行動規範を獲得していく。 まあ、言われてみれば当たり前の話だ。

 と、いうことは、悪いことをする人間を作るにはどうするべきか?
 悪いことをしたら褒美をやり、善いことをしたらムチで打てばいい。すること自体は、非常に簡単である。


 しかしここで、「法治国家である」ということが大きなハードルとなる。


 我々にとっては当たり前すぎて忘れがちだが、日本のようなスラムのほぼない治安の良い国に住み、働けない場合でも制度で生活が保障され、義務教育を受けているというだけで、我々は実に善良になるように学習させられている。最も人格の可塑性に富む子どもたちが一年のうち半分くらい、ずっと集団行動と法の遵守に触れて生活している。
 若い頃からこれだけ善行をするように刷り込まれた価値観を後から覆すのはちょっとやそっとの影響力では難しい。教育や行政の監視の目から切り離すことでその影響力を取り除くか、もっと大きな強化子(学習心理学の用語。行動に対して与える、ご褒美や罰のこと)が必要だ。


 だから、漫画やアニメごときでは「足りない」のである。犯罪者を製造するには絶対に影響力が足りない。我々は「よいこと」をするように、情操教育や司法で(変な話)徹底的に洗脳されているので、作品から良い部分を吸収するように調整された脳ミソになってしまっている。暴力的な作品に触れただけでは「それはそれ」「自分の人生そのものには関係ない」と、自動的に切り離されるようになってしまっている。

 人間をきちんと確実に、臆面もなく人を殺せるような犯罪者にするためには、もっともっと徹底的にコストをかけて大掛かりにやらなければダメなのだ。
 人手や資金がたくさんある巨大なテロ組織やカルト宗教ですら、非常に難儀しながらやっていることだ。人間に悪事を働かさせるために、必死こいて一番教育しやすい年頃の子どもたちを拉致したり信者から取り上げてきて、悪いことをしたときに与える褒美のドラッグ・女・金をひっかき集め、社会から完全に切り離して再教育し………。ざっと挙げただけでこんなにもたくさんの金と手間、強烈な快楽が必要になる。
 たかだか一冊200ページくらいの紙切れの束だの、出てくる女の子の名前を1クール後には忘れてしまうようなアニメーションだので済ませられるわけがない。

 つまり、まれに現れる「漫画やゲームに影響された」と自称するような犯罪者は、もっと根深いところにドラッグや金、恨みなどの「もっと別の大きな強化子」があることを分かっていないか、「知っていて罪を軽くするためにそのせいにしている」ということなのだ。

 繰り返すが、すでに学習された価値観というのはあまりにも手強いのだ。マンガ?アニメ?映画?そんなものですでに教育された人間を犯罪者に改造できたらどんなに楽か。それができないからテロリストは世界各国の危ない地域から金で構成員を集めたり、自前で子供をさらって作っているのだ。


 そういうつまらない話である。