12garage

主にゲームと映画についての雑記。

オイラ世界にたった一人だよ

 すこしだけ昨日のことが飲み込めて、感情がちゃんと湧いてきたので自分のための日記をつけることにした。

 タイトルはピンポンで知った爆弾ジョニーの「唯一人」から借りた。この言葉以上に自分のオリジナルで自分の気持ちを表す言葉を思いつくことができなかった。

 ぼくは、いままで薄闇に立って生きてきた。そうすることで安心したし、薄暗いところからカウンターカルチャーを鞘走らせて精神の均衡をとっていたのだと思う。「おれは、あのようにはなるまいぞ」「無自覚に人を傷つけるパリピ野郎にはなるまいぞ」と。そうやって闇に生きることで、自分と嫌いな人間の間に線を引いて生きてこられた。
 ところが、僕はどうやら、健常者ということになってしまった。安心できる路地裏から引っ張り出されて、自分を包んでいた衣服ぜんぶ剥がされて、寒々しい陽の光の下に放り出されてしまった。自分の人生は自分で背負うには重くなりすぎて、この足では耐えられもしないのに、僕は全裸で人生を歩まなくちゃいけなくなった。

 西尾維新の提示した老倉育というキャラクター、あれは、本当によく捉えていると思う。
 今日は借り物の概念で喋ることが多くなるけれど、ぼくのいままでの人生というのがまさにそれで。僕もコントロールできる絶望に足を浸し続けて生き永らえてきた。幸せになることはなくても、次に来る悲しみがよく見えるようになって、これ以上の悲しみは無いだろうという安心を得られる。

 僕は、唐突に日差しの中に引っ張り出されて次に来る悲しみが見えなくなった。のたうちまわる僕に心療内科の医者は「歩け」と言った。「おまえには人よりマシな足がある」と。確かに、幸せな人生に向かって歩みだすことは大事なことかもしれない。でも、僕の足にはたくさんナイフが刺さっているのだ。足にナイフが刺さっている人は抜かない限り歩いていけないのだ。抜くにはすさまじい出血を伴うだろう。死んでしまうかもしれない。でも、世間の人はみなナイフを抜いて歩き出せという。

 思うに……結局のところ、ポジティブな人間にとっては、影に潜んでいる人間なんか死んでも構わないのだと思う。社会復帰なんてものは見世物ショーの建前なのだ。面白いから路地裏から引っ張り出して、苦しむさまを囲んで眺めている。そしてもはや動けなくなった肉の塊に飽きてどこかへ行く。その繰り返しだ。

 僕はただ、帰りたいのだ。懐かしい日陰に帰りたい。でも、もう戻れない。健常者ということになっているからだ。だから汗水たらして日差しの中をノロノロと徘徊するしか無い。瓦礫を拾い集めて自分で日陰を作るしか無いのだ。
 ああ、静かに生きたい。静かに生きたかっただけだったんだ。たとえルサンチマンだらけのバケモノでも、それでもまだ「何か」でいられたのに、どうして僕は這いずり回っているんだろう。僕は何者でもなくなった。透明になってしまった。陰にいたはずの隣人も見えなくなった。僕一人だ。世界に僕一人だけになった。