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主にゲームと映画についての雑記。

最近見た映画の感想(「レオン」「ファイトクラブ」「イコライザー」)

 皆さんお元気でしょうか?僕は不健康です。

 不穏なことをこぼしたっきりこっちの方は更新していませんでしたが、まあこんなことが言えるくらいにはどうにかしてみました。詳しくは言及しませんが、まあ不健康に"なれた"ということで「あ~そういうことね、そのへんうまくいったのね」と察していただければ幸いです。
 まあちょっと、別件でまた厄介なことが新しく積み重なったりしてるんですが、しばらくは人生繋いでいけそうです。私信としてはそんなとこで以上です。

 さて、最近ちっとも映画の感想を書いてませんでした。元はといえば説明欄にもありますけどゲームと映画のブログですからね、ここ。なんかレインボーシックスのガイド記事がやたらロングランで閲覧されるんで自分でもわかんなくなってきてましたけどね。

 ということで、今回は時間がなくて最近書けなかった映画の感想を三本立でスッスッと流していこうと思います。本当はいい映画だったのでめっちゃ長々と書きたいのですが、ネタバレを防ぎつつ時間を節約するためにあっさり書いていきます。




もくじ


イコライザー

 マグニフィセント・セブンでも思ったんですが、デンゼル・ワシントンって黒や陰影が似合うんですよ。そのまんま画的にコントラストが似合うという意味でもありますが、ストーリー的に闇を背負っているのも似合う。この映画は、そのデンゼル・ワシントンという素材を十二分に活かしきった作品だと思います。

 ポイントとしては、「眼」だと思います。
 デンゼル・ワシントンがもっとも映える瞬間。それは、彼がうつむいて眼窩が黒く深い闇で満たされるその刹那なんですよ。そのとき、彼の中に渦巻く怒り、悲しみ、復讐心という感情が、眉間の下の闇のトンネルからゴオッと吹きすさんでくる。

 この映画は話としてはシンプルなもので、ダークなアクション活劇ではあるのですが、そのなかには深い悲しみと涙がありますよね。最近のこういう鮮やかでコンパクトなアクションというと「ジョン・ウィック」がありましたが、あれは燃え盛る復讐の炎。こちらはただ、「世界は、どうしてこうなるのだろう」というやり場のない問いかけが鎮座しているんですよね。

 スントのストップウォッチをオンにして、とにかく短い時間で殺そうとするマッコール。そしてスラヴィを殺したときの「すまない」という言葉。最初は「スタイリッシュさを演出するために時間を測ってんのかな」と思いましたが、このとき、マッコールは本当にただただ人を殺すつらい時間を短くしたいんだということがわかりました。
 そしてマッコールは、死にかけてる悪役をジッと見るんですよね。「君は、どうしてそんな選択をしてしまったんだ」「どうして人は、やり直すチャンスが有ってもこんな悲しい選択をするんだ」という戸惑いの眼差し……。あれは、恨んでいるのでもなく、復讐のためでもなく、ただただ世界の理不尽と悪に対して戸惑っている目なんですよね……
 あの眼は、威圧という意味ではなく、見られたくないところまで見られるという意味で怖い瞳ですよね。純粋だった君が、どうしてそうなってしまったんだ?という、不良息子を心配する母親のような視線で死の間際を見つめている。ああいう目はダメ人間やクズにとっては一番つらい目なんですよ……

 マッコールという人物が自身もただひたすらに努力を重ね、誰かの夢を応援する人物でありながら、世界の理不尽も知っているという造形が素晴らしいですね。彼はダークヒーローらしく、悪に対して揺らがない。揺らがないけれど、ほんの少しだけ人の善性を信じている。絶妙なキャラクターだと思います。



レオン

 この作品に関しては、もう押しも押されぬ名作でしょう。であるからこそ、あまのじゃくの自分は食指が動かず避けていたのですが、これについてはそのへそ曲がりが功を奏したなと思いました。今見てよかったです。

 レオンという映画は骨太でありながら、描写が神経質であまりにも美しい。そう、神経質。僕がいい映画を観たときはどうも「神経質だ」と感じる癖があるようなのですが、これはそれを抜きにしても神経質に描写された映画だと思います。

 まあなにしろ伏線がすごい。キャラの嗜好、行動が徹底的に環境に裏付けされてるんですよね。こ~~~れはやばい。こだわりすぎ。

 たとえばレオンが映画を見てニコッと無邪気に笑うシーン。これ見た一周目のときは微笑ましいなと思ったのですが、あとからなぜレオンの趣味が新聞を読むことでも本をパラパラ眺めることでも漫画を楽しむことでもなく"映画を見ること"なのかわかると「ウッ!!!!!!!!」と涙が出る。ひたすら葉っぱ拭いて窓際に置くのも、そういうことなんですよね。…ウッウッ…………
 マチルダを買い物に行かせるシーン。ここもやばい。レオンのようなストイックな殺し屋が、わざわざ他人に牛乳を買いに行かせるか怪しいですよ。でも行かせた。なんで? …その後映る正午の壁時計。銃撃戦。あ~~~~~~~~~~~~~やばい。もうこの時点で少しだけ善意でマチルダを助けてるんですよ。や~ばい。変態ですよこの描写力は。

 でやっぱり、レオンっていう映画が「良い」と思ったのは、「男が好きそうな映画なんだけど決してマチズモではない」というところなんですよ。これ、マチルダのセリフによく表れてて。
 助けるつもりがないのにカッコつけたくて助けちゃうってのは、安い男、いや殆どの人間にゃよくあることですよ。それについてマチルダは「最後まで面倒見ないならそんな厚意は無いのと同じ」ってね。
 グァ~~~~~~~~!!!ですよ。「お前、覚悟決まっとんのか?」という問いかけですよね。あなたは本物の男ですか、本物の人間ですかという。これ、もし男を慰撫して気持ちよくさせる映画だとこんなこと訊かないんですよ。それがしたいなら主人公を最初から完璧超人にしといて、女をついてこさせるだけだから。この映画はそうじゃない。マチルダだって苦しみと戦ってて、真の人間なんだということですよね。ジョジョ的に言えば黄金の精神を持っている、というところですかね。

 マチルダというキャラクターは、良くも悪くも子供でしか無いので、自分の言っていることややっていることがわかっていないフシがあるんですが、しかし彼女が口にする一言一句はすべて彼女の苦しい人生に裏打ちされてるんですよね。言っていることの意味が他人にとってどれだけ重大なのか想像できてないんだけど、それでいてウソは一切ない本心で、命をかけてレオンに訴えかけるんですよ。
 「人間、苦しみを背負ってるほど言葉に深みが増す」なんて飲み屋でうそぶく人もいますけど、それはまさにこういうことなんですよね。自分の人生が重たすぎて、命かかってる状況だからウソなんかついたってしょうがねえという。


 なんかほんとに、マチルダとレオンの一瞬一瞬が生きてるんですよね。
 数年前、友人に高畠エナガという天才的な漫画家(残念ながら夭折されましたが)の作品を勧められて、「あっこいつら生きてる」「生きてる中の一瞬をフィルムで撮ってそのまま切り取ったみたいだ」と感じたことがあるのですが、それを思い出しました。キャラクターをわざわざ演じさせるためにそこに立たせてるんじゃなく、そのまんま生きているそのへんの人の人生の一瞬をバーッと長回しで撮ったようなね。それがたまたま、文字を読めない殺し屋と愛する弟を殺された女の子だっただけ。

 なんというか冒頭でも言いましたが、「今見てよかった」と思う映画でしたね。だって、作品がすごすぎて昔の僕じゃ読み解けなかっただろうから。太刀打ちできねーですよこんな堂々とした作品。そういう意味では、ある程度映画を見て積み重ねたいま、理解しながら見られたことは幸福なんじゃないかと思いますよ。人生、後回しにしたほうがいいこともあるんだなあ……。

 もちろん、「だから映画通以外見るな!」とかいうわけではないですよ?単純に「僕は今見れてよかったな」と感じただけですからね!逆にここから見始めて「良い映画とはなんなのだろう」と考える基準にするのもいいと思いますし。
 凄い映画ですね。なんつーか、本当に今見るまでとっといてよかった。味わい深い作品でした。


ファイト・クラブ

 これ感想書かないほうがいいんじゃねえか?(本末転倒)

 いやでも、もし観た方がいたらわかると思うんですけど、あんまり書いちゃうと無粋なんですよね。ね!?この……ね!?ほんっと、これ観た人とだったら意志疎通できると思うんですけど、ファイト・クラブって前情報見ないほうが良い映画ですから……いやはや、今なら映画通の人が「見ろ……」とだけ言ってくるのもわかります。

 なのでもうほんとにこれは、見る予定が1ミリでもあったらこの感想飛ばしてレンタルビデオ店に行ってほしいです。一応おことわりしておきます。




   ん~~……。
 これもね、人生の今見るべき映画だったなと思いました。すごい、ジャストで出会っちゃったな感がありました…。

 主人公が序盤、病院に行ってあることを言われて会合に行くシーンがあるんですよ。そこで主人公が言われたことがもう、僕にはわかりすぎて、刺さりすぎて。もともとファイト・クラブ自体が共感しやすい仕組みを取り入れて作られた物語なんですが、このシーンばっかりは。
 主人公が不眠症で医者にかかるんだけど、このとき、医者に「オメーよかガン患者のほうが苦しい思いしてっから薬なんか出せねーよ」って突っぱねられるんですよ……。もう、その、隙自で申し訳ないんですが心の中のアシリパさんが「ヒンッ!!!!!」ってなりました。ウッ……最近…覚えがありすぎるんですよそういう………医者に薬出してもらえないっていう……そういう経験………。

 だからもうなんか、主人公の気持ちがまるっとわかるって言ったら変ですけど、やばいくらいに自分の気持ちを投影しちゃって。がん患者に混じって泣くシーン、もう「そうだよな!そうなんだよな!」って思っちゃいました。
 死にたいってわけじゃないんですよね。生きたいんだけど、健康と呼ぶにはかなり重い不具合があるから、気持ちとしては病人として扱われたいわけなんですよ。だから重い病気の人達に混じることで、「ああ、俺も…ここでは安心して病人でいられるんだ」って。ボブに救われて……。ほんとやばかったなあのシーン。
 たぶんこれは人によっていろいろ解釈あるシーンだと思うんですが、僕はそう感じましたね……。    あとはタイラーとの関係性がつらい。本当に辛い。
 主人公はマーラに邪魔されながらも、タイラーによって居場所を得たんですよ。あのタイラーに殴られる主人公、サイコーに幸せそうじゃないですか。ああやって生きる苦しみのうえに痛みをわざと重ねることで、現実の苦しみが忘れられる。
 でも、だんだんすれ違っていって……。理想を共有できなくなって、タイラーが自分を置いていって、また居場所がなくなって……。

 ここがな~~~~~~!!!!!本当につれえ!!!!!!居場所がなくなる苦しみ、やばいんですよね。気がついたら自分が異物になってて、一斉に元仲間だったひとたちから邪魔そうな視線を向けられる感じが。
 しかも、追い打ちをかけるようにメイヘムのせいで主人公を救ってくれたボブが……。ああ、もうね。戻れなくなっちゃった……。ファイト・クラブにもいられず、ボブも失っていったわけですよ。つらすぎる…

 そこからジェットコースターのように主人公が射ち出されていくわけですが、あそこから「もうファイト・クラブもメイヘムも関係ねえ!真実はなんなんだ!」「タイラー!耳揃えて待ってろ!」とばかりに飛び出していく主人公が、本当に格好いい。すき、すきすぎる。すこすこのすこ。
 あそこで強烈に「エゴ」を獲得した主人公、本当にいいんだよね。タイラーを止める、すべてを知る、そのために駆け出していく主人公。あの瞬間に彼の譲れないものが目を覚ましたんだと思うと、マジでよかったなと…  だから、あの終わり方が多くの人からハッピーエンドと評されるのはわかる気がしますね。あれは、本当に良かった。すべてが良くなる……

 ファイト・クラブという作品は、見るものの背中に乗っかっているものを映す鏡なのかなと思いました。人生で背負ってきた苦しみを写す鏡ではないかと、そう思うんです。人によって背負ってる物が違いますし、だからこの作品も人によって解釈がものすごく分かれてくる作品なのかもしれません。
 煮詰まってどこにもたどり着かない、過去や現在と鎖で繋がれて人生の牢獄に囚われている人々にとって、この作品はそのぶんだけ重さを伴って返ってくる映画なんじゃないかと思います。であるからこそ、この作品は名作たりえたんでしょうね。
 僕が人生の中でおそらく一番か二番目に苦しみを抱えていたタイミングだったので、この作品も一番か二番くらいに僕をパンチしてきた作品でした。





 まとめというのも変ですが、とりあえず締めに入りたいと思います。

 この三本、特に「ファイト・クラブ」を見るとき、特につよく自分の中に刻まれたのは、「変化とはこういうことなんだな」という理解でした。
 僕は「成長」という言葉が嫌いです。それは多くの人々が、単なる社会への迎合を「成長」と勘違いしているからだと僕が感じているからです。型にはまるために自分の頭の先っちょをヤスリで削っていることを、能力が伸びていると思い込ませる言葉だからです。だから僕は変わることや成長することをあまり好んでいません。
 もちろん今でもきっぱりそう言えます。しかし、自分の人生に重たいものが積み重なって、自分というものの形が否応なく変わっていく経験をするうちに、そういう歪んだ形になれたからこそ新しく理解できた感情もあったのかなと思うようになりました。
 そういうことを、「ファイト・クラブ」の登場人物に気持ちを投影しているうちに学び取ることができたかなと思います。他の人にとってはとっくにわかっていることかもしれませんが、遅れながらでも自分もそれを知って、人生にもっといろいろな味を感じることができるようになった気がします。

 まあ、だからといってこの映画を薦めるわけではありません。別になんにも響かないかもしれません。ですが、みなさんがいずれ出会う映画にこういう作品があると、僕も嬉しいなと思います。

 いじょうです。