12garage

主にゲームと映画についての雑記。

僕が見てきた少し不思議ないくつかのことの話

 お久しぶりです。お元気でしたか?ぼくはぼちぼちです。

 つい先日、映画好きで有名な"人間食べ食べカエル"氏を経由して知った"蛇囚人"さんの怪談が面白かったので、何か僕も書きたいなあと思って過去を振り返っていました。


↓ちなみに蛇囚人氏の話をまとめられたものがこちらです

togetter.com



 僕はわりと小心者でオカルティックなものにめちゃんこ弱くて、むしろそういうのに警戒して立ち入ることはやめとこうと思ってる方なんで、どちらかというと人間の方で怖い目に遭ったことのほうが多いんですが、まあちょっと不思議というか小規模なそういう体験はあったのでチョロチョロと書いていきます。まあ、あんまり怖い話はないんで、むしろ怖がりな人には安心して読んでもらえるかもしれませんね。


もくじ



追いかけてくる人形の話

 これは僕の小さい頃の話で、まあ幼稚園くらいですかね。そこから小学生に上がるくらいの話なんですが。

 両親の部屋に、結婚記念でこしらえてもらった人形…というんですかね?ぬいぐるみっていうか。布で作った人形というと想像しやすいですかね。そういうペアドールがあったんですよ。どうも当時はそういうのが流行ってたらしくて、親戚の家にもありました。で、これ、結婚記念だから当たり前っちゃ当たり前なんですが、両親に似せて作ってあるんですよ。まあ似せるっつっても布の人形ですから、デフォルメのような感じで。

 そのせいかわかんないですけど、不気味の谷というのかな、中途半端に人間に似てるものってものすごく怖いんですよね。それが五歳児ならなおさらですよ。僕はもうビビり倒しまして、その人形を見るたびにジリジリとしたこう、首の後が焼けるような圧迫感を感じてしまって。見かねた両親が布をかけたり収納部屋に入れたりしたんですが、直接見えなくてもそこからまた何かを感じると騒ぎ出すありさまで、屋根裏部屋にしまったりを経て処分にまで至ってしまったんですよね。なので、もう家にはありません。

 それで本題に入っていくわけですが、当時、幼い僕がよく見る夢がありまして、それがまさにこの人形が追いかけてくるという夢だったんですよね。ま~~~最悪ですよ。夢だから逃げようがない。
 泥のような、真っ黒な何かが追いかけてくる。走って走って逃げる。それがだんだん何かわかってくるようになると、実はその人形だった……というような。

 そんな夢をときたま見るなんて日を繰り返しながら、ある日のことですが、僕は列車に乗っている夢を見ました。映画でよくある、テーブルがあって向かいに誰かが座れるようになってるタイプのやつで。
 …で、まあ察しはつくと思いますが、向かいには例の人形が座ってる。「ウワッッッ!!!!」ですよね。最初から距離近いやんけ!!と。でもなんか不思議なことに恐怖感はまったくなくて、人形はただ人間のように自然な仕草でくつろいでいる。あれっ?と思いつつも、夢の中の僕も落ち着いて車窓の風景を眺めてみたり。
 そうすると、人形が訥々と喋りだしたんですよね。「俺は、もう出ないよ」と。あるいは「遠くに行くよ」というようなことを言ってたかな?わからないんですが、僕もいたって落ち着いて、「そっか」と返して。穏やかに景色が流れていくのを見ていました。
 それからぱたりと、人形は僕の夢に出なくなりました。

 という、不思議……というか、なんのことはない僕のおぼろげな夢の話でした。
 まあ今は、そもそも祝い事の人形なんだから最初からそういう感じで夢に出てくればよかったのにね、と思うばかりです。


消えた市女


 僕は霊を見たこととか怪奇現象を生で見た!というようなことは全くと言っていいほどないんですが、ただ一回だけ見えたのが、市女笠をかぶった美しい女性でした。笠を目深にかぶっていたので口元しか見えなかったんですが、紅の引かれたきれいな唇だったのをよく覚えています。とくに嫌味な感じはなくて、穏やかな雰囲気の表情だったように思います。
 あれがいったいなんだったのかわからんのですが、もう一度すぐその道を見るといなくなっていて。たぶんそれだけが自分の超常存在の目撃体験だったように思います。

 無害だったし美人さんだったし、霊体験ガチャとかあったらSSRの部類だったんじゃないかと思いますね。



黄金大仏


 この話をするのに少し嫌な前置きが必要なので、手短に話しますが。

 僕は高校時代、有り体に言えばいじめというヤツのターゲットになっておりまして、毎日針のむしろに座りに行くような気持ちで学校に行っていました。一年生からネチネチと始まって、二年からはクラス替えですこし収まったのですが、結局一年のときに流された噂やあることないことがずっと三年間つきまとっていて、いやもうとにかくどこを見ても敵か人間のクズばかりで、そういうことをしないほんの僅かな人となんとか身を寄せ合って生きていた最悪の三年間だったことは覚えています。精神的にも最悪の状態で、昼休みなんかは必ずカナル型のイヤホンをして音楽を聞きながらひとりで弁当を食べていたんですが、それでも女子グループのヒソヒソとささやくような声が聞こえる気がしてくるというような有様で(後に心理学を志して学んだときにアッ!と思ったんですが、統合失調症の初期段階にこういう症状が出るので、おそらくなりかかっていたのかもしれないですね)。

 もうそんななかで来る日も来る日も自分の中に深く潜り込んで独りで考え込んで、いやいや自分じゃなくてそもそもいじめをやるやつが悪いんじゃないかと思い直したり、ぐるぐる考え込むうちに完全にまいってしまって。「もう自殺するかあいつらを殺すほかない。でも、家族に迷惑をかけるのだけは駄目だから」とギリギリのところで綱渡りをするようなところまで行ってしまった時期がありました。
 この時期については愚痴として折に触れて言及してきたので、僕と付き合いの長い方なら「ああ…」と思われるかもしれないですね。その節はご迷惑をおかけしました。

 そんな出口のない閉じた日々でもがくなか、ある夢を見たんですよ。
 その内容というのが、ただただ光を放つ、壮麗で大きな黄金の仏様がそこに佇んでいる。その座っている足元に僕がいる、というような夢で。


 僕はどちらかというと無神論者で、「神も仏もいたらそもそもぼくはこんな目にあってないだろうね」と八つ当たりじみた考え方をするようなひねくれた不届き者なんです。だから宗教というものに懐疑的なタイプなんですが、ではあるんですがその大仏様の夢を見た瞬間、ただただ「あー、そういうことなんだ」というような、なんとも言えない納得感というか、満たされるような思いが湧いてきて。得も言われぬ感情のまま、夢の中の僕は涙を流しながら拝んでいました。
 「ああ、いるんだ」というのかな。確かにそこにいて、見てるんだなというか。別に救われるとかそういうことじゃないんだけど、「ああ…仏様って、いるんだな。何かしてくれるわけじゃないけど、そこにいて、そこで見て、力強く支えているんだな」と感じた覚えがあります。

 結果としては、別に何か変わったわけじゃありません。いじめはねちっこく続いたし、大学は志望校に行けなかったし、そのあとにもひどい目には遭いました。現在の僕も神仏に対する信仰心みたいなものはあまりないです。
 ただ、「存在はするんだな」というような考えにはなりましたし、もしあのタイミングであの夢を見ていなかったら、きっと今とは違う人生を送っていたと思います。

 いいか悪いかは、わかりませんが。



ニトロと神主と私それから


 僕や僕の家族は初詣とかで神社に詣でるときは、基本的に宇迦之御魂大神という神様を祀っているある神社に行きます。

 ただ、あるときから「厄払いに関しては」ある神社に行っています。我が家ではいろいろと苦しい時期がありまして、ちょっと家庭内不和みたいなものもあったり僕もアレがアレした時期があったので(前述のとおりです)、親戚のすすめでそこに行っています。といっても妙な神社とかではなくて、京都にある本社からの分社で、全国にたくさんある文字通りありふれた神社ですね。

 ここに最後に行ったときの神主さんについての、少し不思議な話です。



 いろいろありましてここの神社には数度お世話になったんですが(神社に数度お世話になるような人生を送るな)、最後に行ったときは僕の厄年の厄払いでしたかね。
 ここの神主さんはほんとうに穏やかな人で、まあ神主さんはだいたい穏やかですけど、わけてもこの人は角が立つ物言いというものをしない。お世話になるたびにとても理知的な人なんだなと思いながら、お祓い後の話(基督教の説教とかお坊さんで言うところの法話ですかね)を聴いていました。

 そして僕の厄払いのとき、ある話をされたんですね。「毒は薬にもなる」という内容の話。

 このたとえに、神主さんは「ニトロ」を引き合いに出しました。ニトログリセリン。俗に言うTNT(トリニトロトルエン)の材料にもなる爆薬、というか不安定な物質です。
 「このニトロというやつは、危なくてしょうがないんですが、心臓病の治療薬にもなるんです」という話で。実は僕もそれをあるライトノベルで知っていたので、そうだな~、と思いながら心の中でうなずいて聴いていたんですよね。とはいえ神社のおごそかな場ですから、ドヤ顔なんかするわけもなく…。もちろん外面的には動じず、強い反応もせずさも初めて聴いたかのような感じでいたんです。ところが

 「まあ〇〇くんは、知っていたよね」と、僕の方を見ながら穏やかな表情で言われて。「えっ!?!?」もう僕は内心すごく驚いてしまって。いや、僕はぜんぜんそんな表情も態度もしていないんですよ。ふつうに、真面目な場というような、失礼があっちゃいけないなとヨソ行きの表情で聴いてたんで。なんで"僕がニトログセリンが薬になるということを知っているとわかったんだ"と………。もうその瞬間、「あっこの人は本物なんだな」と思わずにはいられなかったですね。

 確かに僕も、ひねくれて利発を気取ったような雰囲気はあるのでわざとそういうカマをかけられたという可能性はありますが、その瞬間は「やべえなマジで…」としか思えなかったですね。
 この出来事を思い出すたびに、世の中にはすげえ人が実在するもんだ、と今でも感じますね。



いとこの話


 この話は上の神主さんとも少し関わりのある話で、ぼくのいとこにまつわる出来事です。
 時系列的には、黄金大仏の一件の少し前くらいかな?人生最悪の高校生活まっただなかのころですかね。そのころの出来事です。

 僕はどうも昔から、僕自身は何の変哲もないつまらん人間なのに強烈な人との接点をわりと無自覚に作ってしまうみたいで、友達や親類はそう多くないんですが「うわーこの人は面白いなー」「この人はすごい人生送ってんな」「こんな人間的によくできた聖人が僕の友達になってくれるなんて」ということがままありまして。
 繰り返しお伝えしたとおり、僕自身はウンコみたいなシックスセンスしてるので霊的な体験っていうのはほぼほぼ無いんですが、親類にひとり凄まじい能力を持った「見える人」がいて。それが僕の従姉妹だったんですね。

 僕の従姉妹はわりと大人しいふたり姉妹でして、長女はまあまあ活発で、妹の方はおとなしめという感じで。二人を育てる叔母さんは竹を割ったような快活な人で、言い方によっては歯に衣着せぬというか、わりとズケズケとものを言う人でして。まあちょっと離婚をされたりという経緯もあったんですが、あまり感じの悪い人では無いように思います。


 で、その従姉妹の下の子のほうが、本当に凄まじい霊能力というか。なんというのかな、蛇口を最大限にひねって水がドバドバ出っぱなしみたいなタイプの素質の子だったらしいんですよ。  もうなにしろ自動でなんでもかんでも見えてしまうというような有様で、とくに変わった場所でもなくそうそう人死にも無いような普通の団地に住んでるんですが、家の中でさえ「首を吊ってる人がいる……」と訴えたりするほどで。もはや「寄ってくる」の部類までいってたんじゃないかなと。まあもう、そりゃ最悪ですよね。まだ思春期いってないくらいの女の子が家ですらそんなもんバンバン見えちゃうわけですから。叔母さんも最初は寂しさからそういうことを言ってるのかなと疑ったみたいですが、そのあたりから「もうこりゃアカン!!」と見かねて神社に連れて行った……というわけです(ちなみに、この神社を僕の家族にすすめてくれたのが叔母さんで、例の神主さんがおられる神社です)。それで、「ああこの子は視えてますね」という話になったと。

 それからはそこでの相談のおかげか、いとこの精神面はいくらか良くなったみたいで、たまに祖母宅で顔を合わせる感じになりました。ところが能力の方はとどまるどころかドカドカ開花してしまっていて。もうなんか視えるどころか「上げる」(成仏、除霊のような感じらしい)ということまでできてしまっていたみたいです。「上げる」と疲れ果てて一日ぐったりしてしまうみたいで、なんか洒落怖の巣食うものみたいだな……なんて今にして思ったりしますが。

 さらに視る方もどんどん進んでしまって……ちょうど世間的には江原啓之さんが流行ったあと番組が終わって、ちょっと落ち着いてきた頃ですかね?オーラとかね。そのオーラとか守護霊とかが視えるようになったらしくて。
 本人が言うには、「金色とか白はすごい。とても優しくて、仏様みたいにいい人」というような。道行く人々のオーラで素性とか性格がなんとなくわかるという……。もうなんか現実じゃねえみてえだなと聞きながら僕も思ってたんですけど、血縁上近い人のことだし困ってて神社にまで通ってるからウソとも思えない。
 で、僕も親族ということで叔母づてで教えてもらったことがあるのですが、どうやら「紫のオーラで、武将というかお侍さんのような守護霊がいる」ということらしくて、僕ものんきに「ワースゴーイ」みたいな反応をしていましたね。

 ただ、オーラの話でひとつだけ。「黒のオーラは、だめ。絶対に駄目。良くない、話すのも関わるのも駄目なんだけど、街を歩いてるといる。そっちを見ないようにしてる」という話をしているときのいとこは、本気で怯えているようでした。


 その後、僕が高校を卒業したあとにもなんとなくオーラの話をしたりして、「最近の○○くんは紫の横にすこし赤が出てきたらしいよ」と叔母さんから聞いたりして、ふーんオーラって変わるんだなあなんて思ったりしたんですが、年をとるにつれて弱まったらしく、最近はいとこの能力もほぼほぼ無くなったということだそうです。
 気になったので記事を書く前にそれとなく母親に聞いた話では、今では仕事もしていて普通に社会人生活を送っているようです。





 ただ、なんか、気になるというか。ちょっと引っかかるというか、邪推なんじゃないかとも思うんですが、記事を書きながらふと思ったことがあって。根拠のないことなんですけど。この話の従姉妹の下の方の子って、話すときあんまり人の顔を見ないっていうか、あんまり落ち着いた感じじゃなかったんですよね。まあそりゃそうだろうね。いろいろ見えちゃってたしね。で、僕の顔もあんまり見ない感じだったし。
 で、僕のオーラの色の紫っていうのが、信じないわけじゃないですけど、「本当のオーラの色を教えてくれたのかなぁ?」ということもちょっと思ってしまって。疑ってるわけじゃないんですけど、当時の僕はやさぐれすぎてて、本当に死ぬか生きるか悩んで、涙を飲んであらゆる人間を恨みに恨んで学校に通ってた時期だったので、そんな優しい色かなあ?とか、今にして思うわけですよ。言ってしまえば気を使って、話を聞いた叔母さんが間に入って別の色ってことにしてくれてたのかなって。つまり、






 あのときの僕は、真っ黒だったのかなと。






(了)