12garage

主にゲームと映画についての雑記。

コーヒーを飲み過ぎて動悸がするので、体を落ち着けようと庭で煙草を吸っていた。寄ってきた蚊を数匹、はたき落とす。この時期の庭は虫がきつい。

庭には、苔だらけの桶がある。いつも何かしらの水が溜まっているので、飼い犬がそれを飲む。
ただ、夏場は困る。虫が湧くからだ。ボウフラがいると何度言っても家族は溜まった雨水をこぼそうとしないので、仕方なく自分でひっくり返した。
桶と同じく苔むしている土の上に、薄く水が広がっていく。縞の入った汚らしい尺取り虫のような、タツノオトシゴのようなチューブが、水面をびちびちとかき乱している。
僕にはもう、蟻の巣を棒で埋めていたぶるような趣味はないが、彼らが飼い犬の胃の中へ吸い込まれることを考えると、まだマシのような気がした。


ところで僕のような暇人が、桶からボウフラが湧くといった、小さなことに気がつくのはなぜなのだろうか。
生物学について少しかじったという理由や、調べ物をすぐするという癖にもあるのだが、それよりずっと大きなわけがあるように思う。

蚊がボウフラから成るということ自体はwikipediaででも調べれば、誰でもわかる。
家族がそれをしないのは、つまり、それより大事だと考えている物事で頭がいっぱいだからだと、僕は思う。
生活するために日々の糧を得るとか、冷蔵庫の隙間を食材で埋めるということが、蚊の発生源より重大な事柄なのだ。

いやもちろん、僕はそれについて間違っているとは露ほども思わない。むしろそれはとても正しい。何よりも正しいと言ってよい。日々の生活について考えなければ生きては行かれない。

だから、桶からボウフラが湧くだの、棚のバナナが傷みそうだの、そんなどうでも良いことに気づく人間のほうがおかしい、と言ってもいい。

だが、蚊を放置すれば、巷で流行っているデング熱を媒介して、一族郎党ブッ倒れるかもしれない。傷んだ果物を捨てないで、ついうっかり食べてしまったら、貴重な週末をトイレの中で過ごすハメになるかもしれない。普段から「どうでもいい」ことについて考えている人間しか、そういうことには気づかない。

つまるところ、「おかしい人間」「暇な人間」が、普通の人々の気づかないことに思いを馳せて、すぐに桶をひっくり返すことが大切なのだ、と思う。普通の人々を啓蒙して桶の中身をぶちまけさせるより、自分が外に出て、手を使ったほうが早い。

よく学者や功績を成した人が「馬鹿になれ」というのは、こういう、普段考えないことを考えて行動しろという意味合いを持っているのかもしれない。
頭の中を生活で埋めなければ生きていけないが、どうでもいい些事に目を向ける人がいなければ、僕たちは唐突に死ぬかもしれない。

要するに、世の中のそれぞれの人に「おかしい」ことの役割分担が必要なのだ。
一見して世の中に全く必要のないように見える何かが、自分の頭の中の文脈では到底たどり着かない危機に気づいているのかもしれない。
理解できないものをひとまず否定しないでいることが、自分の命を助けるということもあるのだろうな、と思った。