12garage

主にゲームと映画についての雑記。

おれは、いじめられているおまえに武器を配りたい

 よくきたな。おれは逆噴射エイク郎だ。最近ぜんぜん文しょうを書いてなかったような気がするが、脱獄とかしてないし、ネロの祭りとかとは一切かんけいない。多分な。


 今日書くのは、正直、少し重いはなしで、いじめと人生のことだ。本来ネタめかして書くのもはばかられ、逆噴射聡一郎センセイをまねず、自分の言葉をつかうべきかもしれない。だが、上品な言葉でマジメに書いてしまったら、重くなりすぎるので、すこしだけメキシコ成分を含めて書く。まあ、軽く笑って読んでくれ。
 メキシコによって人生というメキシコを制す。そういうことだ。


 おれは今回、いま学校とかなんかそういうので理不尽にいじめられているおまえたちに、いくつかの武器を配りたいと考えている。おまえたちに、少しでも幸せに生きるための選択肢を提示したい。参考にするなりしないなり、それはおまえたちにまかせる。とりあえず、おれが勝手に満足するために書くつもりだから、好きに読んでくれ。

 そういう内容だから、興味のないやつとかは別に今回の記事は読まなくていいかもしれない。おれの自分語りとかオヤジじみたクソ啓発をあまさず読み漁りたいなら好きにしろ。

もくじ


おれは、おまえがいじめを"処理"するための話をする

 おまえたちがいま、どういう感情なのか。それは人によってさまざまだろう。本当にキツくて、明日にでも死んでしまおうと思っているやつもいれば、最近少し学校でイヤな感じがするという程度のやつもいるだろう。だから、まずはそこから切り分けるために、今回の記事を書く上でのスタンスを明かしておく。

 基ほん的に、おれが今からする話は全て、一種のリスク・マネジメントだ。いじめというのは多大な損害をもたらすし、決して無視できないリスクではあるが、それと同時に人生においてはただのインシデント(事象)のひとつでしかない

 勘違いするな。別に、おまえの抱えている辛さやしんどさのことを、ショボいとかどうでもいいとか言っているわけではない。おれのことを精神論とかを振りかざすあほと一緒にするのはやめろ。ああいうのはおれも嫌いだ。
 いじめとは、もちろん小さなことではなく、人生にひどく影響を及ぼすが、適切に処理すれば全く問題がない、ということだ。いわば盲腸みたいなものだろう。だから、おれはそのリスクとの付き合い方、いわば「処理」の仕方を提案していこうと思っている。


 前置きが長くなったが本題に入る。
 ではまず、問題がどのレベルにあるか考えるために、おまえたちの置かれているであろう状況を、ひとまず三つの要素で整理してみよう。


  • いじめの規模

  • 予想される期間

  • おまえのSAN値


いじめの規模

 おまえに対して起こっているいじめは、どれくらいの大きさだろうか?ひとりから目の敵にされているだけか、小グループに噂をされているのか、教室内で孤立させられているのか、校内全体が敵なのか……

 まず、ひとりから恨まれているだけなら、自分側の理解者が多ければ十分に対処可能だ。規模としては小さめと考えていい。
 しかし、小グループ相手だと少し話は変わってくる。たとえ少ない相手であろうが、一人対数人になったときの差というのは非常に大きい。このあたりから、真剣に捉える必要がある。
 教室内で孤立させられているとまでなると、さすがにまずい。おまえは、すぐに何らかの手を打ったほうが良い。メンツなどうだうだ言っている場合ではない状況だ。
 学校全体となると、もうどうしようもない。保護者とかに相談してすぐに転校しろ。後述するが、こういう場合はおまえが頑張っても学校全体が腐っているのでもはやどうしようもないからだ。関わるだけ損だから、そういうあほどもはまるごと人生から切り捨てろ。


予想される期間

 ある程度キツくても、たとえば卒業のちょい前くらいからだったらそのまま耐えてやり過ごしたほうがいいかもしれない。だが、たとえ小規模でもダラダラと長引いているいじめや嫌がらせがあるなら、学校ごとスッパリ切ってしまったほうがいいこともある。

 人間にとって、ストレスを抱える期間が長ければ長いほど、精神に掛かる負担は雪だるま式に大きくなる。よく「いじめに負けるな!!!!」とかほざく頭の構造が昆虫みたいになっているあほは、このことがわかっていないので、おまえはそういうのが言ってくる一切合切を無視していい。精神論をぶつくさ言うやつはどうせメキシコで死ぬ。
 おれの場合、高校入学とほぼ同時に嫌がらせが始まり、三年間必死にこらえたが、今でも当時のトラウマで悪夢を見るし、とくにそれに見合うメリットは何もなかった。卒業まで半年以上の期間が見込まれる場合は、すぐに何らかの対策をとれ。


おまえのSAN値

 もしおまえが、他人の悪意をうまく受け流すことができ、周囲に有事の際すぐ力になってくれたりかばってくれる友だちがいるなら、まあそれほどいじめや嫌がらせを気にする必要はないだろう。
 しかし、友人はいても他のクラスであったり、部活動でしか会えない場合、いじめについて真面目に対策すべきだ。人間というのは大抵がクソなので、クラスメイトと「まあ普通に話をするかな」程度の関係だと、おまえが困ったときに助けてくれることはあまりない。おまえがかつて山ごもりとか精神と時の部屋にでも行ったことがなければ、おまえの精神力や正気度は驚異的な速さで削れていくとみていいだろう。

 いま、すでに学校に無理して通っていて、頭が痛かったり胃が気持ち悪くなったりしているなら、ガマンせずに学校を休め。気にするな。おれが許す。体調を悪くして身の入らない授業を惰性で受けるくらいなら、サボってレンタルビデオ店に寄って映画を借りてくるなり、家でダラダラしながらスプラトゥーンするなり寝転がって動画でも見ているほうがよっぽどおまえの人生のためになる。

 自分の体力や精神力を、けっして過信するな。
 若いときの苦労は買ってでもしろとかいうクソジジイがいるが、まったくの逆だ。若いときはとにかく楽をする方法を考えろ。なぜ、人間の人格が形成される重要な時期に、掃き溜めや台所のコーナーでカビを生やしているようなカス野郎と我慢して付き合わなければならないのか?
 そんな必要はない。他人を大切にし、理不尽な扱いをしない、まっとうな人間のそばで生きていくほうがよっぽど良い。大事な時期なのだから、そういう優しいひとたちから世の中との付き合い方を教わって、楽に生きる方法を学ぶべきだ。若いときに楽をする方法を学べば、これからの生涯より一層、心安らかに生きることが出来る。
 

 この三つのうち、どれかひとつでも「ヤバイ」と思ったら、すぐに対策を打つべきだ。
 それほどでもなければ、今すぐ焦る必要はないが、気を抜かずに対処しろ。念のため、スクールカウンセラーに相談するなどはしておけ。


いじめはテロである

 いじめ、嫌がらせというものに対処するとき、「テロ」にたとえてみると分かりやすい。

 おまえをいじめるやつは、大して頭も良くないのに賢しらぶって、ああだこうだともっともらしい難癖をつけようとしてくる。

 だが、考えてみろ。おまえがまさに銃で脅されている真っ最中に、「資本主義国家たるおまえたちの行いが……」「神への不敬な行いにより……」とか犯人がゴタゴタ気が狂ったことを言ってるのをマジメに聞く必要があるか?そんなものはクソほどの役にも立たない。まさに今、被害を受けているおまえに必要なのは色々考えることより生き延びることだ。
 ましてや、どのような理由があろうともその事件を起こしている犯人たちの行動を正当化することにはならない。銃で脅せば脅迫だし、いじめをするのは不当な暴力を振るっているのと同じだ。


まずは相談してみろ

 テロにあったとき、まず、おまえがすべきことは?

 そうだ。安全を確保し、「助けを呼ぶ」ということだ。保護者や養護教諭スクールカウンセラーに相談しろ。

 もし、保護者がガッチガチの精神論者で、おまえの話を聞いてくれなかったとしても、養護教諭スクールカウンセラーはおまえの話を聞く義務があるから、その場合もまずはそういった人たちに相談するといい。だってあいつら、それで国とか市の税金から給料もらってるんだからな。じゃんじゃん使え。
 カウンセラーには「相談者の秘密を守る」という守秘義務があるので、どうしても他に漏らされたくない話があるなら、他に話さないように念を押しておくといいだろう。

 正直、こういう言い方をするのはマズいのだが、スクールカウンセラーとか養護教諭は当たり外れがある。それに、学校という教師連中の内輪で固まっているところに外部から来ている異分子なので、あんまり発言力がなかったりする。こういう裏事情は言わないほうがいいのだが、おまえたちの武器にするためだから仕方ない。
 だが、スクールカウンセラー家族や保護者も含めてカウンセリングするということが仕事のひとつとしてあるので、カウンセラーを通しておまえの保護者にじっくりとわからせてやることもできる。あんまりおまえの話を聞いてくれないようなら、外からのパワーを有効活用するべきだ。パワー、イズ、権力。権力、イズ、パワーだ。
 それに、後から学校の不手際を問うときに、「相談していた」という実績があると問題を放置していたとして学校の責任が大きくなるので、アテにならなくてもそれ目当てで相談しておけ。

 そして、おまえに学校での問題を解決する必殺技をおしえる。  閉鎖的な空間で問題解決するための確実な方法は、「問題を大きくすること」だ。  世間様の目についた問題は、今の時代、あっという間に炎上するからな。注目をあつめることでちょっと苦しい思いをするかもしれないが、確実に解決するにはそれがいい。
 かつて大津市のいじめの事件でもあったが、警察に数回届け出てもあの有様だったのだから、おまえたちが大騒ぎしてちょうどいいくらいだと思うぞ。外聞なんて気にするな。使えるものはなんでも使え。おまえの命より大切なものはない。悪徳は徹底的に燃やし、炎上させろ。

 また、あとで触れるが、学校がまともな対応をしてくれなかったりしたときや、おまえが徹底的にいじめの犯人とやりあって問題を解決する覚悟があるなら、弁護士に相談するという手もあるから頭の隅においておけ。


逃げることは合理的である

 いじめというのは人災、人の手によって起こされた災害だ。だから、まず、おまえは、その状況から生きて戻る必要がある。
 もし、余裕があり、徹底的にやりあう覚悟があるなら、犯人と戦ってもいいかもしれない(さっきも書いたが、それについては後述する)。だが一番に考えるべきはそこから逃げることであるというのは変わらない。

 こういうことをおまえがYahoo知恵袋みたいなどうしようもないネットスラムで相談すると「逃げるのは恥だ!!」とか人生大してなんにもできてなさそうな中年のクソオヤジがものすごい速さで説教しに来るが、耳を貸すな。おまえの人生と選択に責任を取れるのはおまえしかいない。ああいう連中は、言うだけ言うくせに、いざそうしたときのおまえの人生に責任を取ってくれない。

 しかし、これについてはおれもそうなので、すまないが、おまえにたいして責任を取れない。こうやって選択肢を挙げてみているが、最後にはおまえにとってベストの答えを自分で決めてほしい。


 ところで昔から、三十六計逃げるに如かず、という。逃げることは恥でもなければ、損をすると決まっているわけでもない。戦いに負けて逃げた人々がかならずひどい目に遭っているかといえばそうでもないのだ。
 あの強大なアメリカでも、あまりにもコストと人命が失われすぎて得をしないのでベトナム戦争を途中で諦めて逃げ帰った。どうだ?衰退したか?いまでもアメリカは超大国だ。「損をするから途中で見切りをつける」というのは非常に賢い選択でありこそすれ、恥だなどと言われる筋合いはないのだ。

 つまり、おまえが「この学校に通うことには、これだけのコストを払う価値がある」と計算しているなら、そのまま通ってたっていい。もしくは、「いじめと徹底的に戦って、必ず今までの損益分を回収する」と考えているなら、いじめと戦ってもいいだろう。
 しかし、冷静に判断してみて、「これ以上はまずい」「耐えられないくらいしんどい」「いずれしんどくなるだろう」と考えたならば、転校するなど直ちに逃げることを考えるべきだ。必要以上のコストを払い続けてドロ沼にハマっても何にもならない。
 厳しい軍隊ですらも、「20%の損害を受けたらそれ以上戦うのはやめる」という退き時のラインを設けている。合理的に早く対処すればするほど、おまえの人生の損失は少なく抑えられるだろう。

 また、おれは臨床心理学を勉強していたのでそれをふまえて言っておくが、一度うつ病(双極性障害)などの精神疾患をわずらうと完治することはない。「寛解」といって一時的に良くなったり、また再発したりというのを繰り返すことになり、一生付き合っていくことになる。そこまでになる前に、おまえ自身のこころを守れ。
 脅しで言っているわけではないが、そういうリスクもあるから、何においても損はさっさと切り、得を掴むべきだ。


 'いじめからの避難を決めたおまえへの提案

 蛇足ではあるが、おまえが学校を替えたり、一時的に登校をやめるなどの選択肢をとると決断した場合の行き先について、いくつかのアイデアを出しておこうと思う。

 中学校や高校を休学し、留年しながら勉強を続けるという方法もあるが、いっそ通信制にしてスッパリ縁を切るという方法もある。これならば通学の問題もそんなになく、地元に友人が居たりする場合もそのまま交流できるだろう。
 高校なら、定時制に行くというのもありだ。定時制には中卒で一度社会人になってから高校に通いたいという人も居たりして、まさに人それぞれの人生を感じられると思う。少なくとも皆生きることに誠実なので、きっとおまえの人生を笑うようなやつは居ないだろう。  お金の問題については、多少かかるかもしれないが、中学や高校程度の私立なんて私大の学費なんかと比べればそれほどのもんでもない。無理して今の学校に通い続けて成績を落とすリスクを抱え続けるよりは、通信制などで精神的に余裕を持って勉強するのもひとつの賢い選択と言える。
 また年齢については、それほど気にすることはない。なんせ、世の中「浪人」「予備校」というやつがあるくらいだ。一歳や二歳くらい、大学や就職まで行けばだ~~れも気にしないからな。


 そしてこれは、もしもおまえが、自分自身を「人並み以下だ」とか「もうまともになんてなれない」と思っていたらなのだが……  おれが好きな作家の西尾維新が「少女不十分」という作品で言っていたことの受け売りだが、「まともでないやつが楽しく生きていたっていい」という言葉を覚えていてほしい。


 おれがかつて嫌がらせを受け、まったくムダに苦しみ抜いて、体調崩しながら高校に通い続けて、結局滑り止めの大学にしか行けなかったとき、正直自分は負け組だと思った。今でも思っている。だが、その滑り止めの大学には本当にいろいろな人生を背負ってるやつが居た。持病があるやつとか、おれより歳がふたつ上でサークルの先輩と昔同級生だったやつとか…本当に色々なやつがいたが、どいつもとても良いやつで、おれなんかよりずっとずっと器のでかい人間ばかりだった。そして、立派な職場に就職していった。
 いや、べつに、おれの自分語りを聞かせて、「お前も苦労してビッグな人間になれ」とか、「努力や頑張りで人生やり直せます!!!!」とか言っているわけじゃない。ああいうポジティブクソ人生論はおれも嫌いだし、そしてなによりも、おれもいま就活中だ……。
 そうじゃない。要するに、おまえが苦しんで、「まっとうな人生を歩めなかった」とか「こんな苦しい思い出を背負いたくなかった」と思っていても、もしかしたら他の人間からしたらスゴイやつに見えてるかもしれないってことだ。少なくとも、お前はこの世に腐るほど居るろくでなしどもと違って、他人の痛みがわかる人間であることは間違いない。お前の味わってきた苦しみには、いくら金を出しても得られない価値があるのだ。どうかお前自身の価値を誇ってほしい。……まず、おまえが「学生」という時点で完全な無職のおれよりは人間としてだいぶマシだ。

 それに、「まともに生きる」ということに、いったいどれだけの価値があるんだろうな?他人をコケにして、蹴落としてヘラヘラしている正真正銘ゴミクズみたいな人間が、ただエスカレーターで進学して就職するだけで「まとも」になれるなら、そんなものは願い下げだと思わないか。
 自分の汚れた部分も知らないくせに、「自分はまともに生きている」という顔をしている方が、おれはよっぽど恥ずかしいと思う。


しんのおとことして戦う場合

 逃げることは全く恥ではない。

 だが、おまえがもし、精神的にも、体力的にもみなぎっていて、「あの腰抜けの卑怯者どもをブチのめさずには、父祖に顔向けできない!!!」というノルドみたいな固い決意がある場合、いじめの犯人や学校と戦ってみるのもいいんではないかと思う。そして、それがもっともお前の納得する決着に近づけてくれるのではないか。


 だが、日本という国は腰抜けのあほが牛耳っていて、「言葉の暴力はいいけど決闘とかの暴力は許さない!」とか頭のイカれたことをほざいているので、悔しいがまあ、とりあえずそのハンドアックスはしまっておけ。脳筋にはとかくやりづらい世の中だ。

 このクソふざけた、どうしようもない国でいじめと戦っていく場合、とにかく証拠と立ち回りが重要になってくる。
 まず、とにかくお前のされてきたことをボイスレコーダーやスマッホのカメラを活用し、記録を取れ。また、されてきたことや脅し取られた金銭がある場合は、ノートにいつやられたかとあわせて記帳しておき、家に保管しておけ。それもひとつの証拠になる。

 そしてなにより、弁護士に相談しろ。とにかもかくにも汚いやり口に関しては弁護士がプロだ(ネットに強い弁護士とかに怒られそうなので、この発言については、おれは責任は負わない)。
 弁護士というとなんだか大ごとな気がするが、単純に彼らは法律とか、どこにそういう証拠を持っていくべきかということに詳しいので、裁判はしないとしても相談して損をすることはない。それに、なにも世の中、裁判だけが物事を決着させるわけではない。相手の非を認めさせ、和解までもっていけば、それで相手の社会的な信用に傷をつけるには十分だ。もし相手が名家などで社会的に力を持っている場合、そもそもそういう争いになる時点で向こうの汚点になるので、裁判にはできないかもしれないが「和解金で解決させようとした卑怯者野郎」というふうにはなる。


 そしてこれは最終手段だが、ほんとうにどうしようもない場合、動画サイトなどネットにさらして告発するという人も世の中にはいるだろうな。肉声などの証拠を公開すれば、相手に相当の痛手を負わせることが出来るだろう。これがウソであればただの個人情報晒しだが、純粋に事実なのだから告発であり、相手も言い逃れはできない。
 ただ、この方法はやった本人にもダメージが来る方法だ。どんな金持ちのボンボンみたいな相手でも息の根を確実に止められるだろうが、する側も特定される危険があるし、ネットにさらされたことですべてを失ったそいつらがヤケクソで逆恨みするかもしれない。

 だから、この方法は勧めないし、おれも教唆するつもりはない。そんな人もいるだろうな、と言っただけだ。おまえは絶対にするなよ?わかったな。重ねていうが、こんなことするなよ?
 まあ、もしやったやつがいたら、どうなったかこっそりおれに教えてくれ。


さいごに

 色々書いて長くなってしまったが、最後にすこしだけおれの言いたいことを言わせてもらう。メインの話はもう終わったので、そういうのが嫌ならこのままブラウザを閉じていい。


 おまえはいま、明日や将来が見えなくて苦しんでいるかもしれない。おれもかつてそうだった。本当に人生がつまらなくて、そこで全部投げ出してやめてしまおうと何度も思った。そしてもちろん、いまでも苦しんでいて、社会に馴染めないでいるし、たびたび死にたいと思う。

 だが、こんなクソみたいな、もう終わっちまってもいいような人生だと思ってたのに、映画を観てダラダラ感想を書いたり、twitterでアホみたいな文を書いたり、ソシャゲやったり、Falloutやってバグで爆笑したり、バイトの給料でPS4買ったり、Amazonでスカーゲンの時計をたっけえなあとか言いながら見たり、百合漫画読んで尊みに涙したり、FA:G組んで眺めたり、ヘッドホン沼に足を突っ込んでみたり、大学でたまたまできた友人にさらわれて唐突に天橋立に連行されたり………そういう楽しいことが、できている。

 実は、ちょっと物騒なことを言うが、それらはひとえに、おれが社会やおれ自身を追い込んだやつを徹底的に恨んでいるからできていたことだ。恨んで恨んで、今でも殺してやりたいくらい憎くて、だからこそおれが先に死んでやることは絶対にできないという執念で生きていたから、楽しい思いをすることも出来た。
 「生きろ」とか「死ぬな」とか「頑張れ」とは言わない。おれは、おまえの抱える痛みや苦しみをわかった気になるなんておこがましいことはできない。だが、怒りや苦しみを感じているならば、それを糧に生きていてもいいんじゃないかとおれは思う。
 間違っていようが、それが倫理的に正しくなかろうが、そんなことはどうでもいいのだ。いつ死ぬにしても、最後に晴れやかな気持ちで人生を終えることが出来るなら、それまでずっと汚泥のような気持ちで生きているのも悪くない。


 おまえがもしもう、なんにも感じることができないくらい疲れていたら、とにかく休んで寝ろ。ダラダラ遊んでスッキリしろ。そして転校するなりなんなりして新しい人生を始めるといい。人間には、みんなそうやって少しでも幸せな人生を求める権利がある。
 それでも心にわだかまりが残って、全てに腹立たしいと思うことがあったなら、その復讐を果たすために生きてみるのもいいと思う。おまえがどうなるかはわからないし、おれと同じように生きろと強制することはしないが、まあ、とりあえずおれは結構楽しくやっている。
 ダメな奴でも、人生というメキシコで、そこそこくらいには楽しい思いができる……。そんなひとつのサンプルとして覚えておいてくれ。


 おれが伝えたいことは、以上だ。