春なのでモテたい
今朝、なんとはなしにタイムラインをツイツイと眺めていると、ラブコメディ漫画が流れてきた。ランプをこすって出てきた魔人がとくに何するわけでもないので自分で自分磨きをする…という作品だった。面白かった。
すると、煙のようにモクモクと頭の中に湧き出してくる感情があった。
モテたくなってしまった。オタクすぐ影響受ける。喫茶タレーラン読んだときもコーヒーに凝り始めたもんな。
しかしここで困ったことに、俺は恋愛にまったく興味が無いという問題が浮上する。性には興味がある。ヤりたいかヤりたくないかで言えばヤりたい。俺はそこんところ保身に走らない男なので言っておくが、ワンチャンヤりたい。
それは置いておくとしても、恋愛に興味がないのに。よくわからない。それが実は初めてではなく、漠然と何度も「」という欲求に悩まされている。これはいったい何故なのか。
俺はアセクシャルというわけではなく心も体も男性で恋愛対象はヘテロなので、対象としては「女性とお付き合いしたい」ということになる。ただ、先述したとおり、自分自身の恋愛はできるだけ生活から排除するようにしている。これは過去の女性にまつわる少々のトラウマと、そして自分が相手を幸せにできるという自己肯定感のなさ(器量の悪さで自信がないことも含む)、あとは主にめちゃくちゃ異性とくっついたり離れたりする兄弟がいて本人からお相手がどのへんがダメとかといった愚痴を何年か聴き続けてきたりといった要因があるのではないかと見ている。たぶん比重的には最後のがデカい。
おそらく、世間一般的にパートナーとお付き合いするとなると、「相手も自分も楽しい」の状態を目指すことになるのだと思う。Win-Winの関係である。相手のことを思いやったり、気を利かせたり察したりして気持ちよく付き合うというのが筋であろう。
そこまでは推理がつくのだが俺はおそらくそれができない。今の状態の俺がすでに充実してWinなので、Winの状態から自分の時間を削って相手に気を回したり勝ってもらう必要性が感じられない。たぶん多くの恋愛をやったり結婚したりしている周囲の人々は、生活というでかい括りの下に「家庭」という何テラバイトかのフォルダがあり、その横に自分の娯楽とかのフォルダがあるのでそのへんが解決できているのではないかと思われる。俺はおそらくCドラの直下にくそデカい趣味フォルダがある。だからHotline MiamiのJacketへのエモい感情やタクシードライバーのトラヴィスとジョーカーのアーサーを比較して小一時間語ることはできてもLINEで送られてきた「乗ってた車が動かなくなっちゃった」に求められているベストな返信はわからないし、世間一般で「誕生日だからエルメスのバッグを彼女に贈ろう」と思うところを「発売日だからエルデンのリングを自分に贈ろう」とか考える。
なぜモテたくなるのか
その状態でなぜモテたくなるのか。
これはやはり、外圧としては社会通念における人生設計プランと比べたことでの焦りだとか、親類や上司からのプレッシャーが考えられる。数年前まで「ハタチになった孫の顔が見られれば十分さね」と言っていたバアちゃんがつい最近は盆暮れ正月彼岸に会うたび跡継ぎを要求しはじめ、すっかりひ孫のバロック持ちになってしまった。大熱波のときは近い。もう世界は終わりだ。
上司も何かにつけ話題がないのか跡継ぎどうこう言ってくる。もちろん悪気はないのはわかるのだが……。どうせ継ぐ資産もろくすっぽないのだから俺の下に生まれた場合の跡継ぎは跡ではなく虚無を継ぐことになると思う。間桐桜かな?
つまり、社会通念としてまだまだ「結婚して子供がいる」という状態が望ましいものであり、そこに向けて自分が"望ましい"男/女であらねばならぬという焦り……それがつまり「」のアウトラインではあるだろう。
モテたいの正体はなんなのか
しかし俺の場合は諸事情とかったるさのせいで恋愛を死ぬほどしたくないというストッパーが掛かっている。""のなかに恋愛が入っていないので、そうするとの正体がわからなくなってくるではないか。
ここで、その正体を探るために""という欲求を分解してみることにする。
モテる
別表記:もてる
異性などから大いに好かれ、人気があること。「モテモテ」などとも言う
―――――引用:実用日本語表現辞典
ものすごくバカっぽいことをやっている自覚はあるのだが、実際に俺はバカなのでこうすると非常にわかりやすくなってくる。まず、"女性(異性)に"と"好かれたい"が合わさったものが「」の正体だ。ただ、とは思うが具体的に異性とパートナーになりたくないしそういう努力もしたくない。そうするとのうちから前者が消える。つまり俺は好かれたい、言い換えると"チヤホヤされたい"のだということがわかった。チヤホヤされたいというところから一歩進めると、つまり人に肯定されたり良い良いと言われたいということになる。昨今ではあまり良い使われ方をしないが、身も蓋もない言い方をすれば承認欲求である。
だから、正しく書くとすると
こうなる。
チヤホヤされたくて何かするということの素晴らしさ
ここまでは俺という深刻なバカの悩みだったのですごく真面目にバカな分析をしてきたのだが、実はちょっとこの作品とも符合するところがある。
いや、この記事の内容で引き合いに出すとものすごくファンに怒られそうなのだが、俺もちゃんと単行本で最新刊追っかけてるコミックス派なので許してほしい。
詳しくはこの作品のスゴさをスポイルするので語らないが、この物語で主人公のもこっち(黒木智子)はまさに「モテたいので〇〇する」という行動力の化身であり、おもに序盤の数巻はひたすらもこっちの(ひどい言い方だが)勘違いした痛い喪女的行動を追いかけるものとなっている。なかなかにヤバいので当然周囲は「こいつおかしいな…」という目で見ている。
しかし面白いのが、物語が進んでいくと周囲のもこっちへの評価が一変するということ。こいつ、ものすごく面白いやつなんじゃないか、ということに周囲が気づき始める。もこっち自体は相変わらずモテたいのでと言って変なことしかしていないのだ。ぜんぜん自重しない。陰毛を銀色に染めたりとかする。
もこっちはずっとおかしなやつなのだが、たとえば周囲の目を気にして自分を押し殺す奴がいてもコイツは"モテたいので"という理由でどんどん行動するし、追い詰められるとヘタレる小物ではあっても自分が信じるモテるための奇行は絶対やめない、という変な筋が通った女なのでその気っ風が周囲の目を少しずつ変えていく。
ものすごく直截な言い方をすると、もこっちはモテてリア充になるというしょうもない承認欲求のためにひたすら行動しているのだが、そういう自分ののめり込んでいる世界への熱があるやつはすごく面白いし妙に肝が据わっている、そういうことが徐々にわかってきて唸らさせられる。
俺はただアホなのでめちゃくちゃチヤホヤされたいだけなのだが、その「チヤホヤされたい」を磨き上げるととても個性のある奴になれる、という意味では非常に参考にしたい人物像だな、と思っている。
まあ俺のことはともかく、「チヤホヤされたい」があさましくて悪いことだけなのかというときっと違うよと教えてくれる作品でもあると思うので、ぜひわたモテは読んでほしい。
<了>