12garage

主にゲームと映画についての雑記。

雑記:サブスクライブで普段聴かない曲を聴いた(Ado,Creepy nuts)

 久しぶりに日記らしい日記を書くのですが、最近は通勤の時間を活かして普段聴かない曲を聴いています。

 オーディオプレイヤーをShanling M6というちょっといい感じのアンドロイド搭載型のものに買い替えたのもあり、アマプラを使いつつ話題の曲を聴いたり。Creepy nutsとかAdoさんに触れてみたのでそのへんの感想をダラダラ書きます。

Adoを聴いた

 最初「うっせえわ」だけを聴いたときはえれえ尖ったアーティスト出てきたな…と思ったんですが「狂言」を通して聴いてみると全然印象違いますね。


 なんつーか、この人は役者だな…という印象ですね。

 あらためてちゃんと色んな曲を聴いてみるとAdoさん(ちゃん?なんか年下だからってちゃん付けすると言語野のオッサン化が激しくなるので"さん"で…)ってコンポーザーやライターによってマジでぜんぜん違う曲を歌ってるんですね。先述の「うっせえわ」なんかはsyudou氏の書いたもう剥き身のナイフみたいな鋭利なリリックだけど、みゆはん氏が書いてる「会いたくて」は正統派にラブソングやってるし。いやすごい。よく歌い分けられるよね。




 この曲とこの曲おなじアルバムに入ってるんだよ。作風の幅がすげえよ。


 「うっせえわ」があんまりにもセンセーショナルだったもんだから僕も「Adoっていう人はこういう人」みたいなアイコニックな捉え方してたんだけど、本人の気質としてはSNSの発言を流し読みしたりインタビューとか聞いてると普通にいい人というか。あ、なんかべつに拗らせてなくて普通に要領いい人だなって感じ。初耳学だったかで林先生と対談してて、「うっせえわも後半の飲み会まわりの歌詞とかが未成年だから酒飲んだこと無いし(想像できなくて)歌うの難しかった」とポロッとこぼしてて面白かったんですが、この人こういう歌歌ってるけど飲み会呼ばれたらササッと周り見てお酌したりできちゃうタイプなんだろうな…と。
 だから職業歌手としてはすごい力量なんだろうなって感じですよね。だって飲み会行ったこと無いのに「飲み会嫌だ」って歌えちゃうし、それに共感する人がたくさん出てきてムーヴメントになっちゃうんだから、やったことない情景を想像して言葉を吹き込む力があるというか。すげえヤな言い方すると演技する力があるよなと思う。
 歌って、シンガーソングライターみたいに自分の中から湧いて出た言葉に人生経験をのっけて歌う人もいるけど、アイドルみたいにコンポーザーがいて作詞者がいて、変な話プロデューサーによってレディメイドの状態でもらった曲に自分を入れ込んで歌うタイプもいるわけで。たぶんAdoさんは後者として完璧な資質を持ってるんだろうなと。




 ただまあそれだけに「うっせえわ」のイメージ付いちゃったのはちょっと重たいなという部分はあるよね…。正直僕も「うっせえわ」のこう……人生に絶望してていっぺん針の筵を味わってきたみたいなイメージを勝手にAdoさんに持っていたところ、なんか思ったよりあっけらかんとして普通にいい人然としているので、「うーん…こんな歌歌ってるけど本人はそういう拗らせかたしてないから、この曲にマジになって共感するのは…」って若干の落胆がありはしたかな…。たぶんAdoさんも本気で歌ってるのは間違いないけど、そこに人生経験とか辛かった出来事を乗っけてるというよりは歌唱のプロとして歌っているので、曲の持つ重厚さに合わないというか…。けなしてるんだか褒めてるんだかわかんない言い方ですけど、歌ってるテーマに対して本人の性格が良すぎるんですよね。




 個人的にレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンウォール街の取引所前でMV撮ってブチ上げた"Sleep Now in the Fire"とかを好んで聞いてるせいで、そういうアーティストの思想と曲が一致している作風に慣れすぎてるので、正直その「Ado≠うっせえわ」という実際のところの図式を飲み込むまで結構時間がかかったというのが曲を聞く上で自分にとって難関といえば難関でしたかね。
 もちろんAdoさんなりに気持ちを入れて歌っているだろうし、それをバカにしたり悪いという意図はまったくなく、むしろ体験したことのないテーマにも気持ちを入れて歌えるすごい才能があるなと思っていますね。ただちょっと自分には飲み込むまで時間がかかったかな、というアーティストではありました。



Creepy nuts

 友人が掛けてた「よふかしのうた」が後からあのマンガの「よふかしのうた」の元ネタだと知ってグーーーーッと引き込まれてCreepy nuts聴き込んだんですけど、いやほんとどうして僕はこんなに面白いユニットをちゃんと聴いてなかったんだろうな……。後悔しましたね。違うジャンルを並べるのもあれだけどヤバイTシャツ屋さんを初めて知ったときくらい面白かった。


 ラッパーとしてダーティというか、アングラな側面としてDisとかMCバトルをやりつつも、かと思えば南海キャンディーズ山ちゃんとオードリー若林の番組にひっかけつつ「たりないふたり」みたいに自虐しながらも笑えるユーモアある曲を作ったり、すごいなんか、律儀なユニットですよね。相手をDisるだけじゃなくて自分もキチッとDisるみたいな変な礼儀正しさがあって面白い。おれは今までラップに関してヤンクというかブリンブリンでワルやってナンボ「だけ」だと思ってたので、「ラップというフォーマットと文化の文脈を使ってそこらを歩いとる現代人を皮肉ったろうぜ!」みたいなことやってるのはすげー新鮮だった。いや触れるタイミングが今更なんだけどね。ちょっと触れるのがアレな話題だけど、波物語の件があったときにすげえ悩みながらメッセージを発信してたあたりの人間性も好きで、そのへんから本当は聴くべきだったかなと思う。

 あと、マツコ会議に出てたときの発言も面白くて


R-指定「どれが正解の日本のHIP HOPというのはなくて。いろんな形を許容できるくらいの、日本にも大きな器ができてきたのかなって。俺らみたいなやつもおるし、あっちのような荒れた環境から成り上がっていくやつもおるし。政治的なところを見て、持たざる者の叫びをコンシャスに描き出す人もおって。俺らみたいに普通に生きてるやつらの自意識っていうのをしゃべるのもおって。いろんなところで旗立てていくことで広がっていくんかなみたいな」

引用元記事様: note.com


 ここのR-指定さんの「ヒップホップっていうのはまさに闇鍋で、当然くりからもんもんの悪党もいるし、かといえばガチで社会風刺をやっていくインテリもおるし、そのなかで俺らは実験的にこういうことをやっとるんだよ。そういう全部込みのジャンルなんじゃないかな」っていう要旨の説明をいま聞いてみることでラップに対する偏見がスルッと解け、ははァ〜〜なるほどなと納得。2Pacがギャングに撃たれて亡くなったようなギラギラしてヤバいのもHIP HOPだし、かといえば「助演男優賞」みたいに解説でも読まないとわからんくらいめちゃくちゃ映画ネタ詰め込んだ曲をやるのもHIP HOPだよというのが、なんつーか聴いてみてわかった感じ。


 このサイトさんを読んでみるとその圧縮っぷりがわかる。

orita-ani.net


 おれは今までファンモンとか湘南乃風みたいなHEY YO言うてそうな陽の者を太極図のごとく交わらざるものとしてすげえ嫌がって遠ざけてきたんですが、こういうかたちでひねくれた韻の踏み方する陰の人もいるんだなぁと安心しつつ、それでいてCreepy nutsの曲は「じゃあそのお前が小馬鹿にしくさってきたHIP HOPの文法でガッチガチに仕組んだ俺らのこの曲読み解ける?」と叱られているようで反省するとともに学びがありますね。


 だけど全部が全部そういう、ものすごくコンテクストを圧縮してライムに押し込めてるのを一個ずつ解読して読みとかなきゃいけないのかって言うとそうでもなくて、「合法的トビ方ノススメ」とかは



 「薬物やめて音楽やったほうがええよ」というフガジのイアン・マッケイ的なメッセージをストレートな下ネタとグルーヴに溶かし込んで楽しく聞かせてくれる曲で気持ちいい。


 「中学十二年生」とかははっちゃけられないまま自意識とモラトリアム拗らせた独身男性を描写しつつ、”あのころ”(スマホがまだケータイだったくらいの頃)の文化を振り返ってるのがまさに僕もその世代だったのでウケるし、「のびしろ」は老いて冴えない中年になっていくことを加減乗除や数字を交えてこれでもかってくらい言い換えポジティブに表現してるのが傑作(R-指定さんがKing of Disと呼ばれてたのを後から知ってギャップに二度笑った)。



 なんか価値観を塗り替えられたというか「こういうのもアリなんだ!」と思わさせられるタイトルばっかりで、ひとつひとつ曲に仕込まれているギミックが隠し持つミーニングに気付いたときは爽快だし、Disったりもするけど「中学十二年生」や「よふかしのうた」のような本気で挑戦する人や社会に馴染めないはみ出しものに対してすごく優しい目線で見ている曲もあって懐が深い。
 あんまりサブスクで聴いてるのもアレなので、音源買って聞きながらリリックを読み込んでいきたいですね。いや、やっぱ食わず嫌いは良くないなと改めて思った。Creepy nutsほんとにおもろいユニットだと思いました。



<了>