12garage

主にゲームと映画についての雑記。

Hey Jude.

 田山花袋という近代文学の作家がいるんですけども。


 田山花袋
 このひとが何した人かっていうと、「蒲団」という作品を書いて有名になった人なんですね。まあ百年前の近代文学作品について今更ネタバレを気にするのは近現代文の教師くらいしかおらんやろと思うので書いてしまいますが、「嫁さんと子供がいる小説家が自分の女弟子にうっすらと淡い恋をいだくも、男の弟子と良い仲になっていくのが気に食わなくて破門して追い出してしまう」という田山花袋自身の経験をもとにした内容の小説なんですね。こういう自分の人生経験をもとに少しだけぼかして作品にする小説のスタイルは「私小説」といって、この人の作品から爆発的にヒットして「自然主義」というムーヴメントが立ち上がるくらいになったジャンルです。


 今日はそういう、自分の身の回りのことの日記を書こうかと思います。


 ※差別的意図はありませんが、本記事には精神疾患について触れる箇所が出てくるため、センシティブな方は閲覧をお控えください



 僕は常日頃、「僕はまったくすごくないけど僕の周りにはすごい物語性を持った人々がいっぱいいるな」と思って自分の没個性ぶりに嫌気が差してるんですが、僕の母方の家族なんかがまさにそれでそれはもう波瀾万丈の半生を送ってたらしいんですね。

 僕の母親の母親、つまり祖母は、それなりにいいとこの出身で学校もいいとこに通って、エリートな人生を送ってたそうなんです。でも、ある日衝撃的な出会いをして、家柄とか全部放り出して駆け落ちしちゃったんですね。だいたい全共闘とかベトナム戦争とか、その辺かそれよりちょい前の時代の話ですから、まあ世の中的にも無軌道で憤懣やる方ない若者が多かったんだろうなと思うんですがね。
 駆け落ちなんてするくらいだったんで結構アツアツで、男一人女三人の子宝に恵まれ、それなりに幸せな家庭だったらしいです。ただ、祖母は生まれ育った環境のためか金銭感覚がズレてるというか浪費癖がものすごかったらしくて、そういったすれ違いもあったからか、祖父は祖母を捨てて不倫相手と再婚してしまうんですね。ただまあ不和だったかというとそうでもなくて、そんなハチャメチャな別れに対して全然円満だったっていうのがちょっとオモロイんですけども。僕も祖父の顔を見に何度も遊びにいったくらいなんですよ。まあ僕からしてもなんか変な感覚なんですけどもね。バアちゃんからジイちゃんを略奪婚した相手のところに普通に遊びにいったり義理の叔母ととくにしがらみもなく会話してたりとか、思い起こすとメチャ変な関係だと思う。なんなんだろうね?僕が一番よくわかんないです。


 まあとにかく、それからというものバアちゃんは女手一つで四人の子供を育て上げなければならなくなったと。本当にすごい苦労の連続だったらしくて、母からもそのときのひもじさとかを未だによく聞くんですけどもね。祖母の息子、つまり僕の叔父にあたる人が精神をやられてまあその、ちょっとアレな薬に手を出したすえに亡くなったりとか。母も母で生活のために親類を頼って県外に出たら、めちゃくちゃケチでクセのある親戚のもとで暮らすことになったりとか。
 叔母のうちひとりが、農家に嫁いでいったはいいものの、精神を病んでしまったりだとかというもあって。どうも、聞く話によると典型的なキツい農家で、ものすごく休みもなく農業に駆り出されたりしつつ子育てもしなくちゃならなかったみたいで、旦那さんは無関心で守ってもくれなくて……という環境だったらしく。僕も言っててイヤになるのであんまり話したくないんですが、旦那さんが通帳握ってて自由に使い倒しながら叔母さんがお小遣いをもらうという家計だったらしくて、しかも子供が学校で必要な上履きとか体操着とかも全部叔母さんの財布から払っていたとかなんとかで。話聞いてるだけであんまりにもあんまりすぎて腸が煮えくり返るので義理の叔父の顔は二度と見たくないですね。
 そのころはバアちゃんも「子供たちが巣立ったし、それぞれ家庭をもってるし」と生活が落ち着き一人で気ままに暮らしていた時期だったんですが、その話を聞いた途端それはもうカンカンに怒り狂って叔母を連れ戻しに行ったんですよね。そのときの様子は僕もおぼろげながら覚えています。僕もそのころはしんどい時期だったので(まあ言うてその叔母さんの苦しみよりは屁でもないレベルでしたが)「なんていうか人生、どれほど苦難を乗り越えた、虫も殺さぬ優しい人にでも、さらに苦難が降りかかるんだな……」と人生のクソさと無常を感じたりしました。


 それからは叔母は祖母とふたり、小さな庭のある古い家を借りて暮らしていて、このところ7~8年くらいだったかな。この頃は僕もチョロチョロ顔を出しに行ったりしたな。傍目からですけど、穏やかな生活を送っていたと思います。このころから統合失調症を抱えていたみたいなんだけども(そりゃあ、あんなつらい環境でジッと耐えていればそうだよね)、それでもほんの少しは、きっと救われていたんじゃないかなと。叔母は洋楽が好きだったらしく、映画の劇伴とかサントラを集めてたりとかしてたみたいですね。
 ただ、祖母の認知症が進み、コロナ禍が始まったくらいに末期がんが見つかってしまって。このあたりから祖母は介護施設で、叔母も施設で離れて暮らすことを余儀なくされて、こんなご時世だから叔母もそう簡単にバアちゃんに会いには行けないし、統合失調症がかなり進んでいったのが痛ましかった。あんまりこういうことを言うのもアレだけど、祖母はもう終末医療で、母が様子を見に行ったりしているんだけど、もういつどうなってもおかしくない状態。母も覚悟を決めて腹を括ってる感じ。



 そんな中、ひとつ印象深いことがあって。

 つい先日、母がスマホで撮ったムービーを僕に見せてきました。叔母から祖母に向けてのメッセージ動画らしく、メッセージの前になにかの曲をハミングしている動画なんだけども、なんの曲かがわからない。
「この曲、どっかで聞いたことあるんだけど思い出せなくて。わかる?」 「いや……。わかんない。でも確か叔母さんって洋楽好きだったんじゃないの?」
しばらく母が思い出そうとYoutubeやグーグルをいじっているうちにわかったのか、「わかった!!」と再生して聞かせてくれたのがこの曲。





 僕はビートルズについては完全に門外漢です。ぜんぜん知らないと言って良い。パッと聞いてわかんなかったくらいだしね。だけどHey Judeは少しだけ意味を知っていたので、「この人は、叔母さんは、この曲を選んだんだな」ということに泣きそうになってしまった。

 Hey Judeは、優しい歌なんですよ。


otokake.com


 本当は僕の言葉でぜんぶ語るべきなんだけど、曲のバックボーンを含めてそこまでしっかり説明できないからリンクを置いておくけども。要約するとオノ・ヨーコジョン・レノンが不倫しているときに、ポール・マッカートニーがジョンの正妻とのあいだの息子、ジュリアンに寄り添って歌った曲。

 ひどい言い方だけど、叔母さんの統合失調症はかなり進んでいて、本当にそこまで深い意味を込めて考え抜いて選んだ曲なのかはわからない。ただ単に昔好きだっただけかもしれない。だけど僕は「この人は自分を育ててくれた母親に何を歌おうかと思ったときに、きっと自分の人生で聞いてきた音楽の中から優しいこの一曲を選んだんだ」という意味を見出さずにいられなかった。やつれて老いも見え始めた叔母さんの声にはそれまでの苦難に耐え生きてきた感情が刻まれているように思えて、そのときだけは僕もいつものひねくれ者をやめて少しだけ本心で泣いた。






 ダラダラとわかりにくい文章を、しかもプライベートもろだしの自分語りしてしまったけど、これだけは忘れたくないなと思って書いておいた。僕はいつもキレてる記事かふざけた記事ばっかり書いてるしあんまり身内の話をするのはガラじゃないので、上手くない書き方だったと思うけど、叔母さんのことだけは真面目に覚えておきたいのでちょっと照れくさいけど真面目に書いてみた。
 でもまあやっぱ恥ずかしいからしばらくは真面目な記事書かなくていいや。次からはバリバリ平常運転します。


 いつか自分の人生で大切な一瞬が訪れたときに、人はどういう歌をうたうんでしょうね。
 たぶん僕だったら……









   レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのGuerrilla Radioですかね。





 イェアアアア!!!人生の邪魔して搾取してくる連中は全員カス!!!!!!ムカつくすべてを破壊する!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!