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主にゲームと映画についての雑記。

FGOにポリコレを持ち込まれる違和感

 FGOの夏イベで「水着を審査するのが性差別に当たっている」と問題提起されてる方がいらっしゃったので個人的に思うことを書きます。

 正直に申し上げると、僕はこのテの暴力的なフェミニストがすっっっっっっっごい嫌いなので(無論、ジェンダーについてきちんと考えて行動されているフェミニストの方は尊敬しています)、まあ今回の記事ではできるだけその好き嫌いとは切り離して書こうと思いますが、まあ多少個人的な部分が混じると思いますので、そこはどうか浅はかなやつだとご一笑ください。


 さて、本題なのですが、今回のFGOのイベントで水着審査シーンで紛糾してるみたいなので、そこについてちょっと問題の切り分けをしたいと思います。「女性を性的に消費している!」ということなのだそうですが、僕はそこに違和感を持ったので、まず以下の点から考えていきます。

黒髭はそもそも大悪党である

 まずはじめに、これを一番最初に考えてほしいんです。
 別に、黒髭は正義の味方じゃありません。ゲーム中でも見せ場はありましたが基本的に悪党として出てましたし、史実でもド犯罪者です。犯すし奪うし乱暴狼藉します。まさに女性を性的に消費する輩の総本山にあたるような男です。

 もちろん、FGOも広く世に出すゲームである以上、公共性もあるわけですし、「悪党キャラだから、それを免罪符に何やってもいい」というわけではないのはわかります。しかし、反対に、まだ女性への配慮もなにもなかった時代の人間が不自然に気を遣わせるというのもまた、論理の成り立たぬ話ではないでしょうか。

 今であれば、「差別は他人のもつ権利を侵害するから取り締まるべきだ」という正義が成り立っています。しかし、エドワード・ティーチの時代ではべつにそういうことはありませんでした。大々的に取引される奴隷もいれば、夜のお店に子供を売る母親もいたでしょう。彼はその時代の、しかも格別に品の悪いナッソーのアウトローです。
 その彼に「ポリティカル・コレクトネス」を求めるのは、「時代劇で、えた・ひにんがいなかったことにしろ」「シャーロック・ホームズにコカインをやらせるな」というようなものじゃないでしょうか。確かに今ではアンタッチャブルなことであっても、「その時代は、事実としてそうであった」わけですから、そこにまで踏み入ってケチをつけるのはそれこそ「黒髭というその時代の男の人格を頭ごなしに否定している」ってことになりませんか?
 もし黒髭からその奔放さをもぎ取ってしまったら「ていのいい海賊のイメージとして消費される」だけになり、それでは女性に対する差別と何も変わりませんよね。

 個人の感想として黒髭が嫌い、というのはわかります。それは人それぞれです。しかし、現代の価値観や法でもって、黒髭が女性に対して横柄な態度を取ることにいちいちライターの社会的責任を問うのは、ちょっと論理が破綻していませんか……? と、思うんです。
 もっと言ってしまえば、Fate世界では女性であるドレイクもスペインと相当汚いことやりあってますし、メイヴさんなんてそれこそもう「自分の欲のために理想の男をつくっちゃう」わけですし、女性優位的な面もありますよね。「誰彼を消費している」などといちいちポリコレを持ち出したら、誰も、過去の人物を消費する歴史フィクションという分野で創作できなくなってしまいます。

女性のために動いているバベッジエジソン、テスラといったまともな男性陣もいる

 別に、今回の夏イベでは大暴れしている男ばかりではありません。女性をひとりの人間として見て、真正面から向き合っている立派な人物もいるではないですか。

 新茶はともかくとして、エジソンやテスラはいつもお世話になっているエレナ女史のために頑張ってマシンを開発したりサポートしてるわけですし、バベッジに至っては「友人の娘のため」と自分の改造のことすら受け入れているわけですよ。まさに美徳、お手本になるような行動じゃないですかね?
 そういう、プラスの点を無視して水着シーンの審査ばかりをあげつらい「女性を性的に消費している」というのは、ちょっと短絡的と言わざるをえないと思います。減点方式で評価されるのも結構ですが、もうすこし男性陣のことを「頭ごなしに差別しないで」見ていただいてもいいのでは、と感じます。


 なんというか、僕もFGOのイベントやシナリオについては思うところはあります。いちソーシャルゲーム、お金を取っている商品である以上つねに消費者からのチェックは受けるべきだと思ってますし、僕だってたびたびレアリティでサーヴァントをいじるところとかは直してほしいなと感じています。さらに、Fate(とくに色々な時代を旅するFGO)の扱っている人類史という分野は、確かに人権や政治的な問題と切り離せない部分はあるでしょう。
 しかし、そこで、だからといって創作物にたいして無闇に権利を振り回すのは、ジェンダーフリーを悪用したある種の性的暴力ではないでしょうか。

 Fateでのキャラクターは歴史上の人物の名こそ冠していますが、今生きているならともかく軒並み没後かなり経っている偉人ばかりですし、性別が違うキャラも多く存在しますし、もっと言ってしまえば我々の歴史にフランケンシュタインの被造物等は実在しないわけです。そういった架空の人物を物語の中でどう扱うかは作家陣の自由ですし、わざわざ存在しない人物の人権を保護なんかしてたらミステリで人が死ぬ描写もできなくなるでしょう。私は、その方が病んでいて不健全な社会だと思います。

 世の中をよくするために意見を発信されるのはとても素晴らしいことだとは思いますが、もう少し冷静に、そして論理的に行動していただきたいと感じました。