12garage

主にゲームと映画についての雑記。

歌を聞いている

 久しぶりに日記らしい日記をつけたくなったので近況報告と併せてダラダラと書きます。ダラダラと書く、というよりつい最近就職してヤバイほど時間がなくなったのできちんと推敲できないというのが正しいんですが…

 そう、そうなんですよ。就職しました。くわしくどうとは言わないんですけど、ずいぶん長くかかりましたがどうにか社会が課してる人間試験に合格できたという感じです。どうにかやっていこうと思っています。

 さて、オフでまで仕事のことに紙幅を割くのは嫌なのでそのへんにしますが、最近は歌をよく聞くようになりました。今日はその話をします。

 昔はBUMP OF CHICKENとかを聞いていたんですが、近頃はめっきり音階のついた人間の声というのが嫌いになりまして(なんか字面にするとすげえこと言ってんな)、とにかく声を耳に入れたくねえなあとかなんとなく思いながらゲームのサントラとかEDMばっか聞いてました。しかしながら社会人になって車に乗り出したりするとこういう曲がバリクソ運転には合わないということがわかり始めまして。まあ半年くらい前ですかね……、ジャズ要素とかエレクトロをちょっと入れたロックを聞くようにし始めたんですよね。

 それというのが星野源サカナクションです。

 もうこのへんまでの文体でだいたいわかると思うんですが僕はムチャクチャに捩れたドブみたいな性格してるので、流行り物に対して忌避感が強く、店に行く前に気になっていたアーティストがいざTSUTAYA店内で特集組まれてたりすると棚の前で悶々と借りるか悩むみたいな天の邪鬼ムーブをぶちかます不審者なのですが、そのときは意を決して聞きました。
 そろそろ逃げ恥ブームも過ぎたかな……という僕の安直な胸中が見え見えですが、聞いてみたらもう本当にこの2アーティストに関しては心臓をブチ抜かれるような気持ちになりまして、たまらず連鎖的にどんどん漁ってしまいました。

 もうほんとにどっちもすごくて、語彙力も貧弱なので「すげえ!」で終わらせたいんですが、書ける限りでそれぞれについて書きたいと思います。

星野源

 星野源さんはTwitterでデレマスをやってるスケベ大好きお兄さんという前情報を得た瞬間に食わず嫌いをしていた己の不明を恥じ、「兄貴と呼ばせてください!!!!!」と心の中で土下座しそうになりました。もう前情報の時点で強すぎる。

 まあそのあたりは置いといてなんですが、特にアルバム"YELLOW DANCER"の「地獄でなぜ悪い」を聞いてその詩の構成の巧みさにもうのめり込むように惚れ込んでしまったんですよ。まず、星野源さんの全体的な方向性としてブラック・ミュージックへのリスペクトがあって、それと日本のポップス文化を融合させようとしているらしいのですが、現代日本風に捉え直しているのがたまらないんですよね。
 お恥ずかしながら僕は音楽界隈に明るくないので詳しい方には釈迦に説法かと思いますが、ブラック・ミュージックのブラックとは肌の色を指してまして、黒人音楽とも言われているものです。黒人ということでパッと思い浮かぶ方もいらっしゃるかもしれないんですけど、かつて被差別対象であった黒人の方々が現実の理不尽や絶望を見つめ、強く歯向かっていくという思いで歌い上げていったことに端を発するジャンルです(たしかそんな感じだったはず)。ヒップホップやブルース、ジャズはそれに属する音楽ですね。ですからアルバム名のYELLOWの意味が持つ"黄色人種"という毒気とウィットに気づいたときは「ウワッッッ!!!!!」と鳥肌が立ちました。

 日本における黒人問題、つまりここまでの文脈で言い換えたところの「差別被害者」というのは、部落の方々についてや女性蔑視もそうなんですけど「いじめ」なんかもそのひとつで、それを歌にすることはまさしく日本におけるブラック・ミュージックなわけです。「地獄でなぜ悪い」の中では二番の歌詞でそれを示唆する部分もあったりして、狙ったかどうかはわかりませんがもう星野源さんのそのセンスに完全に参ってしまいました。もう好き。好きすぎる。先程も述べましたが、ブラック・ミュージックとは絶望や理不尽を直視し、「ふざけんじゃんねえよコノヤロー!!!」と怒りをぶちまける要素もあるわけで、星野源さんの曲はどれも明るい曲調なのに、実は虐げられている人の怒りと苦しみも織り込まれていることもあったりしてその手腕に僕は完全に参って(以下省略)。本当にすごいんですよね。
 いじめ自体はどこの国でもあることですが、ことなかれ主義や自分の悪事を棚に上げたりもみ消そうとする日本人の悪習とも密接に絡んだ社会問題じゃないかと思います。その中で、弱者と同じ目線に立ってそっと寄り添い、理不尽と戦う人々を高らかに歌い上げるこの曲は本当に素晴らしく、感銘を受けました。

 もうひとつ、それとは別に星野源さんが貫いているテーマとしては、「空想の肯定」があると思います。
 「地獄でなぜ悪い」も空想や想像を強く肯定しているのですが、やはりなんといっても「夢の外へ」はその最たるものでしょう。この曲は名作フリーゲーム「ゆめにっき」をイメージした曲なのですが、特に星野源さん、いや星野兄貴のフィクションへの向き合い方が濃く出てます。

 僕たちゼロ年代に青春を過ごした者に限らず、オタクやインドア趣味の人々は昔から何かと犯罪と関連付けられ、「犯罪者予備軍」などと罵られてきました。事情があって外に出ることをやめた人たちを「引きこもり」という側面だけクローズアップしたり、本当に嫌な目に遭わされてきましたね。そういう我々、日陰者にとって「空想」は多くの場合救いとなってきた背景があるわけです。
 星野源さんが向き合った「ゆめにっき」については詳細を省きますが、かなり陰や闇が濃い作品であり、夢中になれる人もいる一方で向き合うこと自体がかなり苦痛になる人もいるゲームです。頭の中がポジティブで埋まっているマジョリティな人たちが見たら間違いなくボコボコに殴りに来るでしょう。ですが星野兄貴はそこで陰陽どちらの答えにもよらず、「僕は真ん中を行く」というメッセージを提示します。
 ここが本当に良いです。「殻に閉じこもって自分の考えだけで視野が狭くなること」にノーと答えつつも、しかし「多数派に流されて生きてるだけの人」にもノーと突っぱねるんです。どっちつかずじゃなくて「両方にノー」なんですよ。どんだけアナーキーなんだ。好きすぎる。
 歌詞カードのあとの方でもコメントを残されているんですが、「世間を恐れてこっそりと空想を抱くのではなく、空想を否定するのでもなく、空想を堂々と現実世界に連れ出してやろうぜ」というようなことを考えてこの曲を作ったそうで、ああもうかっこいいなとしか言いようがないです。

 もうなんか、最高すぎて最高なんですよ。星野兄貴!!!!!!!抱いて!!!!!!!!

サカナクション

 お恥ずかしながら正直に白状すると、その時期が新宝島MADブームだったんですよね。……なんか、入り口が不純でスミマセンでした。

 でもね、本当にDocumentaLyで「仮面の街」聞いて心臓掴まれましたよ。「今の日本でこんなに暗い曲をきっちり歌ってくれる人がいるのか!!!!!」っていう(失礼)。魚図鑑のコメンタリーでもバンド内で物議を醸したというお話が出てたりしたんですけど、それでも歌ってくれたということにもうなんか、尊敬がやまない。

 うわべだけの人間関係への倦怠感とか、自分の悪意に気づいてない人だらけの日本社会への皮肉ってめちゃくちゃ言いづらいんですよ。ある意味での告発っていうか。
 たとえばこれは誰が言われてもそう感じるという話なんですが、「人間関係めんどくせーーーーーーーーー!!!!!」って友達が言ってたら、一瞬ヒヤッとしますよね。えっ俺が言われてんじゃねえか?って。まあ実際は特定の誰とかじゃなくて全体的に面倒くさくなって一人になりてえとかそういう意味だったりするわけなんですけどね。
 そういう無用の誤解も招くから、自分を悪と認識できてないパワハラアルハラ・セクハラ加害者とか、アタマお花畑で「陰キャ」とか難癖つけて人権侵害を日夜楽しんでるガキどもとか、クソみてえな社会へのアイロニーって言いづらいわけなんですよ。関係ない人に「あれ?それ俺の悪口言ってる?」って感じで誤射して顰蹙買っちゃうから。それをもう、山口さんは堂々と歌にブチ上げたと。たまんないっすよ。かっこよすぎるわ。

 そもそも恋愛ソングまみれ、脳みそポジティブ一色のJ-POP市場で「おれはなんで音楽番組なんかに出ちまったんだ」とショックを受ける山口さん、最高じゃないすか……(これもまた後から魚図鑑を読んで知ったエピソードですが)。
 歌というものは、激しい感情の発露ということで、恋愛や喜びとは切っても切れない関係にありますし、ですからどこの国でも恋愛の歌が大流行するのは自然なことではあります。とくに日本の歌と恋愛ってのは和歌の時代から切り離せないような根深い関係なんですけど、そんな天皇賛美や惚れた腫れたや山川がキレイだの延々と垂れて飽きそうななかで

 うるせ~~~~!!
 知らね~~~~!!!!
               唐衣裾に取り付き泣く子らを置き
                       てぞ来のや母なしにして!!!!!!!!!!!

と防人の歌よろしくネガティブな歌詞を叩きつけられたらシビれちゃいますわ。
 まあ真面目な話、これこそがとは言いませんが、これもまた真の歌なんですよ。

 僕は常々思っているんですが、憎悪や絶望や悲しみも人間に現れるべき感情のひとつなんですよ。それをどうも、押し込めたりやりすごしたり、無理やりポジティブに乗り切ろうとすることを是とする風潮がある。
 いや、別に恋愛もポジティブ思考もそれはそれでいいですし、個人が勝手に自分の中で我慢したり忍耐するのもいいんですが、他人に対しても「常にポジティブでいろ」「ネガティブ禁止」「つらさから逃げるな」という圧力をかけるのがさも正しいかのように蔓延してる現状は本当によくないと思います。いいじゃないすか、逃げたって凹んだって泣いたって。
 サカナクションの山口さんはどうやら内向的な歌詞を書きすぎてるんじゃないかと自省した時期があったそうなんですが、僕からしたら「お願いしますからどうかバンバン書いてください」と頭下げたいくらいなんですよ……。怒り、悲しみ、絶望、復讐心から生まれる詩美というものもあると思うんです。蟹工船とか苦役列車とか……。歌が感情から立ち昇るものだとするならば、涙の深海からでてきたっておかしくないじゃないですか。
 エレクトロと他ジャンルの曲の融和(この場合はロック)が好きなのもあるんですが、「Klee」の創作者が抱える葛藤の描写や「エンドレス」で偏見に偏見が重なったりする論争とかそれを止めようとする人とかがいた震災当時の錯綜を描写してたり、あ~~~~~もう文学!!!!という歌詞の作り方がたまらない!
 あまりライブには行かないタチなんですが、いつかぜひライブに行きたいと思わさせられる圧倒的情報量を持ったバンドだと思いました。


 なんかすごい久しぶりに日記的な日記を書けて満足したのでこのへんにします。ここまで読んでくださってたらありがとうございます。お疲れ様でした。