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主にゲームと映画についての雑記。

スペックオプス ザ・ライン――ドバイに潜む悪意、この頭の中の地獄

steamでセールだったので、Spec Ops:The Lineを買ってプレイしました。 例によってネタバレ含む感想を書くためブラウザバックなど適当にお願いします。





スペックオプス ザ・ライン。とてもおもしろかった。
悪意に次ぐ悪意で、何もかもがプレイヤーとウォーカーを追い詰めようとするマゾゲーだったが、それだけのことをするにふさわしい細かい作り込みをしっかりしており、TPSとして非常に良くできていた。
基本的に、このゲームのベースラインには、戦争の悲惨さやゲームで暴力を振るうこと、またそれを自己正当化するプレイヤーの愚かしさを指摘する説教臭い流れ……があるように見える。白燐弾のことなどもそうだが、わりと時事にも触れているし、米国の海外派兵に疑義を呈する部分も大いにある。
だが、これは断言してもいいと思うのだが、このゲームが掲げるのはそんな安易で使い古された「反戦」テーマではない


なぜなら、プレイヤーがどのような行動をしても、平等に絶望へと追い込むからだ。
たとえば自分を犠牲にして市民を救おうとか、33部隊に情けをかけて人間性を信じるという選択肢をしたとしても、自分が撃ち殺されて終わりもしくは誰かを救ったという都合の良い幻覚を見ていたと扱われる。
かといって、大局的にこの事態を見て、「わかった!市民を少し犠牲にしてでも、この悪夢全体を終わらせよう!」と行動すれば、今度はその犠牲にしたシーンばかりをキャラクターからネチネチ言われることになる。
「必要だから悪いことをした?お前は他人を踏み台にするクソ野郎だな、コンラッドと何が違うんだ?」「自分を犠牲に良いことをした?お前の妄想のなかの出来事だよ、自己満足だよそれ」と、あらゆる方向からもう見事としか言えないダブスタを食らわせてくる。


つまるところこのゲームは、最初から「プレイヤーに平和を選んでほしい」なんて微塵も思っていない
もし平和に解決してほしいと説教したいならその選択肢を用意するだろうし、その選択肢を選ぶことでご褒美を与えるだろう。某ゲームで、一度も殺しをせず話し合いだけで解決することで真のハッピーエンドが観られる、といった具合に…。
この作品にはそれがまったくないのだ。プレイヤーに「仕方なかったんだ」と、なんとしてでも言わせるために、脚本があらゆる点で先回りして平和への道を閉ざすのだから。
ストーリーテラーからは理想の道は示さないくせに、ただこちらがやってきたことすべてにケチをつけてくるので、悪く言えばゲームの形を取ったクレーマーである。これが反戦・反暴力ゲームなわけがない。「反プレイヤー」「反ウォーカー」というのが適当なところだろう。
最後の最後には仕上げとして「全てがウォーカーの頭のなかで起きていたことだ」とまで言ってくる。だから、最初から最後までプレイヤーが何をしても何も覆らないのだ。

しかし、ここからがこのゲームの一枚上手なところなのだが、「この世界そのものが実在しない」「この世界はウォーカーの頭の中にあるんだ」ということは、実ははじめから伏線として用意している。広告の看板にコンラッドの顔が出ていたり、こちらを見つめるコンラッドに錯視する旗などもかかっている(これは僕自身もプレイ中は気づかず、ある方の記事を読んで知った)などと、きちんとこの世界が実在しない、起きたことをもとにウォーカーが幻覚を見ているだけだということを示すモチーフを出している。

つまり、これは最初からウォーカー個人の物語であるということになる。
我々はずっとデルタの精鋭マーティン・ウォーカーの脳ミソの片隅でソファーに座り、マウスなりパッドなりを握って彼をコントロールしていたように思っていたし、彼の選択には我々の責任もあると思っていた。まあ実際、我々の選択によって多少ストーリーは変わるしいくらかの責任はあるだろう。
しかし、実際にはすこし違った部分に我々プレイヤーが居たということになる。最初からどのような選択をとっても結末が変わらないということをウォーカーは本当は知っていて、我々は知らなかった。我々はウォーカーに自分自身を重ねて、ウォーカーが受けた苦しみは全て自分らプレイヤーが選ばせた結果だと思っていたが、そうではなくウォーカーはウォーカーだった。彼自身を操縦していたというよりは、彼が運転するドバイの地獄行き妄想超特急に相乗りし、車窓から白燐で燃え盛る死体を「俺達のせいだ…」と思いながら眺めていた、と言った方が正しい。僕たちプレイヤーが出来たのは窓から風景を眺めるときの姿勢をちょこっと変えるくらいのことで、行き先は本当に、責任逃れなどではなく正真正銘どうにもできなかったのだ。

僕達プレイヤーがゲームを起動して彼に関わるずっと前から、ウォーカーはドバイをめちゃくちゃにしていたのだ……


だから、その前提をもとにこの作品を見ていくと、本当に面白いなと思う。ドバイの地獄を見て狂ったウォーカーの、まさに頭の中の地獄を眺めていた。
プレイヤーがどんなに苦しんで選択しても無意味で、徒労に終わるゲーム?そりゃそうだわ。報われるわけがない。現実は何も変わらない。僕たちは勝手に希望を抱いて「もしかしたらチェックポイントからやり直して違う行動を取れば、このドバイを変えられるかも」「自分にも責任があるかも」と勘違いしたけれども、これはハナっからただウォーカーという他人の身に起こった悲惨な事件を追体験しているだけなのだから…。
要するに、これはウォーカーの歩いた道を辿っていく一本の映画のようなものであって、我々が干渉して結末を変えられる所謂“ゲーム"ではない。まったくコンラッドの言うとおりで、ゲームではないから、プレイヤーの心がどんなに清くても結末を変えられたりはしないのだ。してやられたとしか言えない。さんざん僕達の選択で何かを変えられるように見せかけておいて、ドバイの何もかもが苦しみと闇に染まっていくのを、特等席でじっと見つめるしかないんだ……。



ぼく個人の感想としては、最初から最後まで徹頭徹尾、丁寧に悪意で満たされた、素晴らしいゲームだ…と思った。
僕自身がもともと、安全なところで葉っぱキメてギター弾きながら、何も解決しないのに下っ端でPTSD持ちの帰還兵を殴り倒して満足する連中だとか、なぜかいっつも銃後での苦しいお話とお涙頂戴しかやらない夏の感動ポルノみたいな「反戦」というノリが大嫌いなKY野郎だったので、ティエンビエンフーみたいにこういうひねくれにひねくれきったテーマを掲げる作品はありがたい。TPSとしての出来もとても良かったと思うし、テーマ抜きにして骨子の部分もよく出来ていたと思う。
だからやっぱり、他人にはオススメできないなと思うゲームだった。ハマれば面白いけれども、これは絶対万人のツボに入る作品ではないというか…ほら、わかってもらえると思うんだけど…戦争が嫌いな人はこのゲームやらないし、戦争が好きな人はこのゲーム嫌いになるでしょ……ってわけなので…。

地獄を味わった兵士の頭の中の地獄を眺めるゲームなので、モデルになった「地獄の黙示録(とさらにその原作の闇の奥)」、「ローン・サバイバー」、地獄の黙示録が好きだった伊藤計劃氏の「虐殺器官」が好きな人とかには結構おすすめできそうだな、と思いました。ネタバレ記事の最後にこんなことを書くのもアレですが、深い闇を味わいたい人にはおすすめです。